家族

まさかうちの子が!?わが子の不登校に直面している親御さんへ。

子どもの不登校をなんとかしたかったら、いったん落ち着くことです。

とても言いづらいですが、長期戦になります。

長い目で見ることです。
小手先でどうにかなることではありません。
子どものこれからの人生が決まるんです。

例えば学校に行きたくない理由が、本当に先生と相性が合わなかっただけ、ただそれだけの場合はその先生が異動にでもなればまた行き出す可能性もあるでしょう。

でも、理由が明確にコレっていうものでなければ、親は腹を括ることです。

とにかく長引かないうちに早く手を打とうと、アレやコレやと子どもに関わったおかげでさっさと学校に行き出したという例を私は知りません。

そういう例があるとすれば、もう力ずくか精神的な圧力かでしょう。

『不登校の解決』=『学校に行くようになること』なのであれば立派に解決です。

でもそれが本当の解決なのかどうかは、学校に戻った子どもの表情を見ればわかることです。

笑顔も生きる気力も失い魂を奪われたようなわが子は誰でも見たくありませんよね。

では『不登校の解決』ってなんでしょう。
(この言葉ほんとはとても嫌なんですがあえて使っています)

学校に行ってようと行ってまいと、子どもにどんな人でいてもらいたいか、どんなふうに生きてもらいたいか、
そこをゴールと考えてみるのはどうでしょう。

落ち着いて考えてみれば、それは形ばかりの登校ではないはずです。

親はみんなわが子が大人になったときのことを心配してるんですよね。

子どものうち、未成年のうちくらいはいろいろと世話を焼いたり面倒見れても、いつまでもそれでは困る。

自分がいなくても生きていけるようになってほしい。

そのために今できることはなんでしょう。

あの手この手を使って、子どもを自分の望む方へ導くことでしょうか。

今、学校へ行かないことを選択してる子どもは本当はすごいことをやってのけているんです。

もう十分に生きる力があると思いませんか?

自分だけのエッセンス(魅力とか才能とも言えるかな)やエネルギーが学校に行くことで失われる。

それを本能でわかってるんです。

もちろん本人は無意識でしょうが、

無意識で自分を守るってすごいことではありませんか?

私もかつて

「不登校は最先端」とか「不登校の子は天才」なんてことを言われて正直意味がわからない時期もありました。

でも

『学校でみんながやってることができない』という視点から

『学校でみんながやってることでできないこともあるけど、その中でできることやこの子にしかできないこと、この子だからこその素敵な一面もある』というふうな視点に変えたとき

私の目に、うちの子だけの魅力や才能が少しずつ映り出しました。

本来、子どもはどの子も魅力と才能に溢れた本当に素晴らしい存在です。

世の中の枠に当てはめることでその輝きが失われるくるいなら、その枠を取っ払ってしまうことです。

親がしてあげられることって、そう多くはない。
むしろほとんどない。

そんな中でもしできることがあるとすれば枠を取っ払う作業です。

今その枠を取っ払うことが、
この先、自分の子どもたちが生きやすい世界を広げてあげることにつながるのです。

メダカに例えてみます。
大きな水槽がたくさんの仕切り板で仕切られていたとしたら、ぶつかってばかりでうまく泳げません。
その仕切り板を少しずつ取り除いていったらどうでしょう。
メダカはたぶん泳ぎやすくなるし、世界は本当は広いことを知るでしょう。
知らんけど。

その作業はときとして
修行です。
苦行です。
泣きます。
寝込みます。
挫けます。

でも急ぐことはありません。

焦ることもありません。

子どもにそう言ってあげたいなら、まず自分にそう言ってあげることです。

焦らない。

大丈夫。

どんな生き方をしようと本当は自由なんです。

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