高校生の時からお付き合いしていた方との短大の2年間の遠距離は楽しいことももちろんあったけど、たださみしいだけだったという思い出が強い。 なかなか会えなくて会った後のさみしさは尋常ではなかった。 今ならわかる。 さみしい病 …
投稿者: ユキコさん
大丈夫じゃない。
もうかなり前から私は、大丈夫じゃないのに大丈夫としか言えない自分に気づいていた。 継続して受けている大塚彩子さんの個人セッションの中であるとき、この2つのことを言ってみてくださいと言われた。 『私は大丈夫。』 『私は大丈 …
不登校から1年のfacebook投稿。
[1年ぶりの学校] 6年生の次女が修学旅行に出発しました。 昨年の6月8日から学校に行けなくなりちょうど1年。 この1年は私にとって大きな心の変化の1年でした。 『まさかウチの子が』よく聞くこの言葉を自分が使う日が来るな …
消えていった、幸せ『だけど』
まさか自分がブログを書く日が来るとは夢にも思っていなかった。 とはいえ、まだ夫にしか話していないので知っている人も読んでいる人もいない。 なぜみんなブログを書くのだろう。 どうして私は書いてみようと思ったのだろう。 私と …
たかが不登校。
『たかが不登校』 そんな言葉をある人のブログで見つけた。 『学校に行きたくないから行かないだけ』 ただそれだけ。 それだけなんだ。 そんなふうに思えて 鼻歌が出てくることもある。 そんなふうになんて思えなくてグルグル考え …
夫との出会いで人生が明るくなった話。
高校2年生から短大の卒業間近までお付き合いしてた方がいた。 短大の2年間は遠距離だった。 ちょうど私の就職先の近くに住んでいたので、卒業してこれからはたくさん一緒の時間が過ごせるはずだったのにお別れした。 就職先の同系列 …
学校のために生きていた
次女が不登校になったのは5年生の6月だが、それよりかなり前3.4年生の頃から『どうして学校に行かなければならないのか』を真剣に考えていた。 当時の私は『学校は絶対に行かなければいけないもの』という頭しかなかったので『 …
幸せそのもの。
23歳で結婚し2年後には長女を授かり、1度の流産はあったものの4人の子供を授かり、家族は仲良し、食べるものにも着るものにも困らない生活。幸せそのものだった。 何気ない日常の一コマで幸せを噛みしめることも多々あった。 幸せ …
愛しの末っ子エピソードです。
不登校や心のお話から気分を変えて、末っ子も同乗していた際の大きな事故の後日談です。 乗っていた車が廃車になってしまい、新しく車を買いました。 それまで乗っていた車はお祓いをしていなかったので、今回はしてもらおうという …
自分に余暇を許していないことに気づいたきっかけ。
要領が悪いと言われながら育ち、なんの取り柄もなく生きてきた私だが、少しずつでも自分に自信を持てるようになりたいと、毎日することや週一ですることを習慣化アプリで管理することを始めた。 ・1日の予定確認 ・玄関掃除 ・お風呂 …
自分に甘くなんてなってなかった話。
今まで当たり前にやってきたこと。 やるべきだと思ってきたことを少しずつ緩めていき、まわりに頼ったり甘えたりできるようになった。 ほんのわずかでも自分の時間を持つことにした。 それでも私は1人でカフェに行っても映画に行って …
自分にもこどもたちにも緩くなった結果。
茅ヶ崎のおじさんと話したり、心屋さんの本を読んだりで、どんどん甘くなり『頑張らなくてもいい』になっていった結果、学校で嫌なことがあって頑張れない、休みたいと言う長女に『いいんじゃない、たまには休んでも。』と答える母親にな …
なぜ子ども3人不登校に?
なぜ3人が不登校になったのか。 もちろん3人同時に行かなくなったわけではない。 まず次女が行かなくなり、長女はその1年後、長男は更にその4ヶ月後に行かなくなった。 次女がある日を境に学校に行かなくなり(行けなくなり)母親 …
なんか霧が晴れてくようなスッキリした感じ。
自分の記録として残しておこうと、何となく始めたブログ。 公開するつもりはなかったが、気が変わって公開してみた。 記事を更新するたびに自分のこれまでを振り返り、我ながら 『苦しかったよね』 『頑張ってたよね』 『偉かったよ …
人生初ブログ
40歳。4児の母。果樹農家の嫁。 末っ子(年長)を除く上3人が不登校。 夫と2人、それぞれ自分探し中。 これまで一生懸命やってきたけど、どうやら自分を置き去りにしてきたようだ。 世間体や常識なんて捨ててしまえ。 そんな風 …
ガマン星人
ガマン。ガマン。とにかくガマン。 私がさみしくてもガマンし続けた(し続けるしかなかった)のは、父の夢を叶えるためだった。 夢を叶えるため自営を始めたいと相談されたとき(報告だったかもしれない)なんだかとっても …