子ども4人不登校からの学び

大好きだから怖かった。

今日は嬉しいことがあった。

でも今日のことを一昨日から心配してずっと気にしてた。
そのせいで昨夜は変な夢を見たくらいだ。

何があったかって、今日久しぶりに父と母にあったのだ。
ほんとにわずかな時間だけど。
親戚にも。

実家の方の親戚のおじさんが亡くなったと連絡が来たのが一昨日。
この数年ご無沙汰してしまい、、、というよりもう最後に会ったのがいつか思い出せないくらいだけど、同じ村内に住み幼い頃からよく知っているおじさんだ。

そのおじさんとの思い出というと、道祖神のときに何色ものいろがみを七夕飾りみたいに長く繋げたものに習字で長ったらしい言葉を書くのをいつもそのおじさんの家でやらせてもらっていた。

どんな言葉を書いてたのかはわからないけど、道祖神だからたぶん神様にまつわるような言葉だろう。その年齢にしては難しい漢字も混ざっていたし上手く書けてたのかわからないけど、おじさんはいつも同じように私の書いたものを「それでいいよ」という感じで見てくれていた気がする。

そのおじさんは祖母の弟にあたる人だけど、祖母も壮絶な人生で血の繋がった兄とは別の家に引き取られて生きてきたし、実の両親に関しては私は知らない。
そんな大事なこと、祖母が生きてるうちにもう少し聞けたら良かったのに、、、なんて思うのだけど、そういうこと知りたいっていうのも今この年齢になった自分だから思うんだろうな。

それで、このブログでもときどき書いてきたのだけど、私は40歳(現在44歳)で遅れてきた反抗期をやってしまいそれから母親と変な事になってしまい約3年とても苦しんだ。
今年に入り一応その事については一段落したにはしたけど、やっぱり一度崩れてしまった関係が元のように修復することはとても難しくて。
それは私と母の性格もあると思うけど、、、。

私が母に吐いてしまった暴言は二度と取り返すことはできない。
でもそれをせざるを得なかった。
仕方なかったんだと何度も自分に言い聞かせてはみても、罪悪感は更に層を増して強固なものになっていくばかり。
そんな感覚でずっといた。

今日のお葬式に参列するのはとても怖かった。
親戚ともずっと顔も合わせず連絡も取り合わずにいたから、久しぶりに顔をあわせるのは怖かった。
「何も恥ずることも後ろめたさを感じることもなかろう。私だっていろいろあったけど一生懸命やってきたんだ。胸を張って行けばいいじゃないか。」
そんなふうに自分に声をかけ無理やり大丈夫と思わせた。

あと一つ、実は私が実家とおかしな事になってから夫も私の両親とは全く会っていなかった。
夫は夫でいつも気にかけてくれていたが、自分が出ていくことで事態を更に悪化させたら、、、そんな思いもありひたすら見守っていてくれた。

そんな感じで3年ほど会っていなかったのが思いがけず突然会うことになり夫も少し緊張していた。

お葬式という場ということもあるし、変な言い合いにもならないだろうとは思いつつも2人して少し硬くなりながらいざ会場へ。

私たちの暮らす地域とはまた勝手の違うお葬式に少々戸惑いながらもお焼香を済ませる。
マスクのせいもあるが、ああいう場では普段でも緊張してしまい誰が座ってるとかはほとんど見れない。
その中にいるであろう父と母も、親戚の顔も全然わからないまま落ち着いてお焼香をする事に全神経を集中させて無事にその場を去る。

すぐに母が席を立ち私たちのところに来てくれた。
父も。
そして幼い頃から一番可愛がってくれてた叔母も。(思い出して涙出てくる)
その叔母の夫である叔父や、もう1人父の弟である叔父も。
私たちの近くまで出てきてくれて「ご無沙汰しちゃって、、、」なんて挨拶を交わした。

この数年のことなんてまるでないかのように言葉を交わした。
嬉しかった。

渡せるタイミングがあるかわからなかったけど持参した少しのお土産を駐車場で渡し、「またね」と別れた。

帰りに向け出発した車中、私の気持ちは明らかに高揚していた。
本当に嬉しかったんだ。
そんな気持ちを夫にも聞いてもらい、夫も良かったねと言ってくれる。

私が故郷で過ごした期間は決して長くはない。
もう結婚して南アルプス市に暮らしてからの方が長くなってしまったけど、
それでもやっぱり子ども時代に成長する中で一緒に時間を共有してきた人たちというのは特別なんだなぁとしみじみ思った。

普段は心のつながりや絆があれば血の繋がりはそんなに重要ではないと思っているけど、血縁ていうものはやっぱり重いなぁと思った。
こうして久しぶりに会っただけでそれぞれの人と交わした笑顔や言葉をあっという間に思い出しタイムスリップしてしまうような感覚になるなんて。

もともと実家や親戚との繋がりはそんなに深くないと思うけど、ちょっと会えただけでなんだか身も心も元気が出てくるようなすごいパワーを持った存在なんだな。

それは母との間の苦しい期間があったからこそ感じられる実感なんだと今ならわかる。
それまで母を困らせないように、嫌われないようにと自分を抑えて接していたままの自分ではこの気持ちは味わえなかったんだ。

いつまでたっても罪悪感がお友だちの私だけど、こんなふうな何か出来事を経験することで少しずつ許していけるだろうか。

今回は亡くなったおじさんが久しぶりに私たち家族を会わせてくれた。
私の性格から言って積極的に話をしたこともほとんどなかったけど、いつか私もお空の橋を渡ったら「あのときはありがとう。」って言うから、どうか影の薄い私を忘れないでいてください、、、。

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勇気づけアドバイザー金丸由貴子

勇気づけアドバイザー

金丸 由貴子

47歳。果樹農家の嫁。元介護職。 4人の子どもたちが次々に学校に行かなくなり人生を問いただされた39歳から8年経過。 夫とともに自己探求しながら、毎日みんなで笑顔で過ごせるのが何より大事ということに行き着く。 2023現在、長女21歳、次女19歳、長男15歳、次男13歳。