『行きしぶり』ということばにずっと、何か相容れないものを感じていてそれがなんなのかわからずにいた。
でもそのモヤモヤの正体がわかった。
『うちの子は学校に行かない』と
『うちの子は学校に行けない』の違いと同じなんだ。
『行けない』って言うと、行かなきゃ行けない場所に行けない子どもが悪い感じ。
親は行かそうとしてるけど行けないから困ってる。つまり自分の困りごとを子どものせいにしてる感じ。
本人が『行きたいのに行けない』と表現することもあるだろうけど、まあ、それはまた別の話で。
それで『行かない』っていうのは、行っても行かなくてもいい場所に対して自分の意思で選択してる。
『うちの子は行かないです』
『うちの子は行ってないです』って言うと、
子どもの問題だから子どもの意思を尊重してる感じ。
『そんな無責任な、、、行かせるのが親の役目でしょう』って思われがちだけど、
日本では子を持つ親に
『教育を受けさせる義務』はあっても
『学校に行かせる』義務はないのだ。
それで『行きしぶり』もそう。
『うちの子は行きしぶりで』って言うと
『学校は行かなきゃいけないもので、
そこに行きたくないと子どもが言ってることに困っている』状態。
私は行かせたいけど、行きたくないと言ってるから参ってます感と、
やるべきことはやってると自分に言い聞かせてる感が滲み出てる。
これ、言われてる子どもの気持ちになったらけっこう辛いと思う。
日本の学校はまだまだ「子どもが学校に適応する」ことを求められているけど、
すべての子どもに教育を、、、なんて言ってるからには
どんな子どもも学べるように学校が、国が適応していかなきゃいけないのが本当なんだから。
だから、不登校ってある時期を過ぎるまでは親にとって本当に苦しいことだけれど、
せめて子どもの前では
『うちの子は行けない』
『うちの子は行きしぶり』とは
言わないでほしい。
「不登校」ということばは、学校に行かないことを良しとしない人がいる限りなくならないのだから、一人でも多くの人がその価値観をひっくり返してくれることを願う。
注:親の会とかで苦しい胸の内を吐き出すのは全然いいと思います!
あと、「教育」の持つ意味もよく考えたらいわゆる「科目学習」だけではな
いはず!