富士の麓の小さな村の小さな一軒家に1人の少女が誕生した。
1人目が男の子だったこともあり、両親も祖母も親戚もたいそう喜び可愛がった。
少女は両親の愛情をたっぷり受けてすくすく育ち、内弁慶な面もあったが、家族といるときの笑顔からは、この世に生まれたことの歓びがあふれていた。
この世のどんな恐ろしいことからも守ってくれると思える父親への安心感。
ただそこにいてくれたらそれだけでいいと思える母親の温もり。
少女は幸せだった。
3年生の頃父親が自営業を始め、母親もそちらにかかりきりになり、一緒に暮らしてはいても顔を合わせることも珍しいほどのすれ違い生活になってしまった。
少女の面倒は祖母が見てくれた。
少女は寂しかったが、父親の夢が叶うと思うと自分が寂しさを我慢するのなんか何でもなかった。
母親は『一緒にいてやらなくて申し訳ない』と思っていたが、
少女が寂しくても頑張るよと言ってくれるので、その言葉を励みに父親の仕事を支えた。
両親の頑張りのおかげで少女は望む短大に入学させてもらい一人暮らしまでさせてもらうことができた。
その短大で学べたことで叶った就職先で夫と出会い結婚し、4人の子どもを授かった。
幼い頃家族の時間をあまり過ごせなかった分、母親になった少女は、何よりも家族との時間を大切にした。
子どもたちから1日何十回、何百回と発せられる『お母さん』という言葉は、大げさではなく呼ばれるたびに言葉では表すことのできない幸福感を与えた。
これまでの人生で我慢が当たり前だった少女は、夫にも自分にも我慢することばかりだったが、あるとき我慢しなくてもいいということを知り、何でも口に出し話をして家族の形はよりいっそう良くなった。
母親も家も大好きな子どもたちは、学校には行きたくないと言ったが、
母親となった少女は『仕方ないわね』と微笑み子どもたちを抱きしめた。
『どんなあなたも大好きよ』
『あなたの人生だもの、好きなように生きたらいいわ』
両親の愛情をたっぷり受けて育った少女は、人生は誰のものでもなく自分のものであることを知っていた。
家族の数だけ幸せの形が違うように、
きっと私たちだけの幸せの形があるはずと、少女は今日も『お母さん』と呼んでくれる子どもたちに『私を選んでくれてありがとう』とそっと呟いた。