先日末っ子の保育所の修了式が終わった。
いわゆる卒園式だ。
長女から途切れなく通い11年。
お世話になった先生やら出会ったママたちも沢山だ。
上の子たちのこれまでの卒園、卒業は涙涙だった。
特に1人目の長女の時の卒園は泣きすぎてビデオ撮影の続行が不可能になり夫に替わってもらった。
小学校の卒業式も、泣きすぎとママ友に笑われた。
今回は人生の転換期を迎えてから初めての卒園式。いろいろと考え方や価値観が変わってるので、面白いくらいに違和感たっぷりだった。
入園のときに小さかった子どもたちの成長した姿は素直に感動するのだが、来賓の挨拶や先生のお話には頭の中で『?』が飛んだり、
いつもは号泣ポイントの子どもたちの『呼びかけ』や『おうたの発表』も
『お世話になった先生ありがとうございました。』とか、
『いつもあたたかく見守ってくれたお父さん、お母さん。』とか、
『カッコいい小学生になります。』とかとか、、、。
もちろん毎日一生懸命練習した成果を、立派に発表する姿は『頑張ったんだな〜』と思うし、先生や保育所とのお別れに泣いてる子もいて涙を誘うんだけど
『言わされてる』『やらされてる』感をすごく感じてしまい素直に感動できなかった。
私はずいぶん周りの人たちと違う場所に来たんだな〜なんて思い、少しさみしいような、でもみんなにもわかってもらいたいような、、、。
みんなで同じ絵を描いて、みんなで同じ制作をして、今まで当たり前だったことが不自然に思える。
みんなやりたいこと違う。
みんな描きたい絵は違う。
描きたい時間も違う。
絵を描きたくない子もいるだろうし。
そんな中で『みんなと同じにできない』子は
『困った子』になってしまう。
最近では、子どもはみんな一人一人素晴らしいものを持ってる存在だと心から思っている。
大人よりはるかに純粋で大きな可能性の塊。
大人は子どもより長く生きているというただそれだけで、子どもより上だと思ってしまう。
『子どもなんて何もわかっていない』
『教えてあげなくちゃ』
『大人の言う通りにしてれば良い』
なんていうふうに思っている大人もたくさんいるだろう。
私も前はそうだったな。
子どもがみんなと同じにできてれば安心。
できてないことがあれば、できるように口を出したり手を貸したり、、、。
今は子どもたちに対しても自分に対してもできてることを見ることができるようになったし、できてないことがあってもそれはそれでいいわけだし、すごく肩の力を抜いて生きることができるようになった。
楽になった。
生きるのが少ししんどいと感じてる人や、それすら感じてない人、みんなみんな肩の力を抜いて生きれたらいいな。
平和な世の中のために心から願う朝だ。