あえて「呪い」ということばを使うのは、呪いをかけられた側の持つ無意識的な印象がしっくりくるからだ。
呪いをかけられた者は、そのことを知っていようが知っていまいがその呪いが解かれるまでは逃げられない。
そんなイメージがある。
先日、夫の心の学びの友でもあり信頼しているカウンセラーの「はるちゃん」こと島崎晴美さんのセッションを受けた。
Love yourself!いのちの学び舎
最近またまたどうにも苦しくて。
(あなたはいつも苦しいんでしょなんて言わないで少しおつきあいください^^;)
ずーーーーっと
ずーーーーっと
来る日も来る日も夫を責め続ける日々。
あ、、、心の中でね。
なまじっか学んでるから、人を責めるってことは結局自分を責めてるってことでしょ、、なんてなってまた自分にはじから×をつける。
どうにもこうにもアップアップなタイミングではるちゃんのセッションを受けることができ最近のモヤモヤを吐き出した。
でも私もある程度はわかっている。
自分の中の無意識の領域の何かが発動して私をこんなに苦しめ動けなくしていることを。
私ははるちゃんの誘導でマインドフルネスに入っていった。
マインドフルネスは誘導されるのが好き。
しかもヨガティーチャーでもあるはるちゃんの誘導は、ストレッチみたいに腕を上にむかって伸ばしたり背中の後ろに回したり首を振り子のように揺らしたりと、とても気持ちがよく心地よいものだった。
マインドフルネスに入った私はいくつかの質問に答えていく。
何か「ちゃんとしなさい」だとか、「しっかりしないとダメでしょ」だとかいう類で母親から何度となく言われていたことはないか、、、。
はるちゃんが母親役となり声をかけてくれる。
でもどれもしっくりこない私にあることばが思い出された。
それは何度となく言われていたかもしれないし、そのときだけ言われたことかもしれないけどそこはよく覚えていない。
「いいかげんにしなさい」
そのことばが母から発せられた場面、それはたぶん私が8歳とか9歳の頃。
2つ上の兄がふざけて私を驚かせ、それにビックリしすぎた私はいつまでたっても泣き止まなかった。
それを受けての「いいかげんにしなさい」だったと記憶している。
はるちゃんが「ゆっこ、いいかげんにしなさい」と少し強めの口調で言ってきた。
涙が頬を伝う。
そのときの自分の気持ちを感じる。
「なんて言ってほしかった? どうしてほしかった?」
と聞かれ、
「ビックリしたね。嫌だったね。」そう言ってただ「いい子いい子」してほしかった。
頭を撫でてぎゅうして欲しかった。
静かに、でも止め処なく温かいものが頰をつたう。
私はこれまでそれなりに時間とお金をかけて自己探求してきた。
それでグーンと前に進んだと感じるような時もあったし大切なことにもたくさん気づいてきた。
だから、、、という言い方でつなげることが矛盾していることも今ならわかるのだけど、
同じようなことでずっと悩み続けたり不安にかられ動けずにいることはダメなことになってしまっていた。
いいかげんにしないと。
いいかげん聞き分けないと。
私は無意識にそれを信じていた。
とても強く信じていた。
私はただただビックリした気持ちに寄り添い、包み込んで欲しかっただけだった。
そのときの気持ちが消化しきれなかったために、今の日々の暮らしの中で長引くような悩み事や困り事に対し「いいかげんにしないと」が発動し、いつまでも同じことで立ち止まってるのはいけないこと。いいかげん聞き分けて行動しない自分はダメ。ということを繰り返していた。
子どもの頃のこのエピソードは、大人になった自分から見たら本当にただ流してしまうような些細な出来事だろう。
だけど、その小さな出来事を思い出したおかげで私の中に起こった変化は計り知れない。
今回のはるちゃんのセッションでは、もう一つどでかいものと向き合ってきたのだけど、それはまた別記事で、、、。