先日、夫の心の学びの友でもあり信頼しているカウンセラーさんの「はるちゃん」こと島崎晴美さんのセッションを受けた。
そのときに、昔母から言われたあることばによって今の私が不自由していることがわかった。
セッションのはじめ、私の最近のモヤモヤをつらつらと話しているとき私は自分がどうしても『理想のお母さん』を手放せないことを話していた。
私は家事全般が嫌いだ。
そこに気づき「嫌いだ」と口にすることに許可が出たのも自己探求してからだ。
それまではもちろん主婦なのに、母なのに、家事がうまくできない、、、というより苦痛に感じる自分にダメ出しをしていた。
家事といってもいろいろあるけど、その中でも「ご飯の支度」これに私は散々苦しめられてきた。
ずっと必死にやってきた。
必死にやってるときは大変だったけどそれがあたりまえで、そこまで苦痛は感じてなかったようにも思う。
小さい子どもらとのてんやわんやの日々でも3度の食事の支度をしていたのだ。
しかも夫が糖質制限だの言い出せば、それ相応のものを用意して。
だけど人生の壁にぶつかり人生観が大転換をして「頑張らなくてもいい」ということを知ってしまってからは、ずっと動き続けてきたエンジンがすっかりやる気を無くしてしまったかのように面白いほど自分の意に反して動けなくなってしまった。
子どもたちが学校に行かなくなり、三度三度の食事の支度をするのは大変だった。
それでも、私がしんどい思いをしてまでそこで食事の支度をするよりは、出来合えのものやインスタント、冷凍食品や外食だろうとみんなで笑って食べる方が良かろうと、かなり手を抜くようにもなった。
だけどそこに付随する罪悪感は根強く、どうしても拭いきれないものだった。
ここで私の生い立ちを簡単に振り返る、、、
私は何不自由なく育ってきた。
食べるものも着るものにも困ったことはない。
両親から虐待を受けていたわけでも学校でいじめにあっていたわけでもない。
私はごく普通に育ってきたのだろう。
見る人から見れば、とても幸せな子どもだっただろうし、自分でもそう思ってきた。
ただ一つ、、、
ただ一つ私が大人になった今 生きづらさを感じることの原因があるとするなら、
私は両親と過ごす時間が極端に少なかった。
私が9歳頃から両親は自営業をはじめ、夜は私が寝てから帰ってきて朝は私が学校に行ってから起きてくるという完全なすれ違い生活だった。
相当な寂しさと闘っていたが、祖母が面倒見てくれていたからあまり言えずにいた部分も大きかったと思う。
「いいお母さんでいたい。」
その「いいお母さん」の指すものが、私にとってのいいお母さんであること、必ずしも私の子どもたちにとってのいいお母さんではないことは十分すぎるくらい理解していた。
これまでずっと理解してきた、、、そう頭では。
はるちゃんは私に尋ねた。
「どういうお母さんでいてほしかった?」
引き続きマインドフルネスのままの私は自分の気持ちを感じる、、、。
「お母さんのご飯食べたかった。」
「毎日じゃなくていいから、ただいまって帰ったときに家にいてほしかった。」
「学校であった楽しかったことも嫌だったことも聞いてほしかった。」
そう涙ながらに答える私に、はるちゃんはことばを繰り返しながら寄り添ってくれた。
そして、多分その場で思いついたんだと思うけど、
手のひらを上に向けて置くように言うと、私が涙やら鼻水やらを拭くために使ってちょうど空になったティッシュの箱をその上に乗せた。
(セッションのはじまる段階で私がリラックスできるように膝の上にクッションを置いてくれていたので、そのクッションの上に手を置いていた。)
そしてそのティッシュの箱を上から押すように、私の手の平に押し付けるようにしながら、
(詳しい言い回しはよく覚えていないのだけど)
「これは、お母さんがゆっこちゃんに与えるべきものだったんだよ」というようなことを言った。
はるちゃんは繰り返して言うようにと私にことばを促した。
「これはあなたが与えるべきものだったものです。」
「でも私には与えられませんでした。」
「私は私の子どもたちにこれを与えようと、これまで一生懸命やってきたけどできませんでした。」
「これはあなたが与えるべきものだったもので、私のものではありません。」←もうこの辺では声にならない声で泣きじゃくっている。はるちゃんは相変わらずティッシュの箱をグイグイと押し付けている。
そして最後、、、
「これは私のものではありません。あなたに一旦お返しします。」
はるちゃんは、このことばを言いながらそのティッシュの箱を「私に渡して」と言った。
目を開けてはるちゃんを見る。
泣きすぎて痛くなった頭、グシュグシュの顔、震える声でことばを絞り出す。
「これは私のものではありません。あなたに一旦お返しします。」
はるちゃんに渡そうとする私の手が震えている。
これを渡してしまったら私が私でなくなるような恐怖に襲われる。
怖い。
でもここまできたらもう後戻りもできまい。
またひとつ私を不自由にさせているものとこれで決別できるなら、、、!
そんな想いも手伝って私は思いきってそれをはるちゃんに渡した。
「持ってないものはあげれないんだよ。あげたくてもゆっこちゃんこれ持ってないんだもん!
これはゆっこちゃんが欲しくて欲しくて枯渇してたものなんだよ。お母さんとまだしっかりへその緒が繋がってたの!」
子どものようにヒックヒックと泣きじゃくる私に
「よく頑張ったね。」
はるちゃんは女神さまのように微笑んで私を抱きしめてくれた。
つづく。
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