親と子、、、特に母親とこどもは一心同体みたいなところがある。
母親から生まれてきたし、自分では何もできない赤ん坊の頃から手をかけてお世話してきたからそういう感覚になるのはすごく自然で当たり前のことかもしれない。
それでも、どんなに小さくてもこどもも1人の人格を持った人間。
自分とは別の人間だとしっかり認識することが必要だ。
こどもって、命に変えても守りたいような大切な大切な存在なのに
なぜか普段から大切には扱わない。
それはやっぱり自分の一部のように感じていたり、自分の所有物のように思ってしまっているからだ。
以前、八ヶ岳サドベリースクールのスタッフをしていた友人が言っていた。
例えば友だちがテーブルの飲み物を間違ってこぼしてしまったとして、どうしますか?なんて言いますか?
では、自分の子どもがそれをしたらどうですか?と。
友だちだったらきっと「大丈夫?服は濡れなかった?」なんて言いながら一緒に後始末をするだろう。
それが子どもになるときっと「も〜〜っ、何してんの!?」とか、
「だから言ったでしょ!」とか、「絶対やると思った〜」とかかな?笑
要は、いくら子どもだからってそんな言い方しないで友だちに対してする態度やことばで接しようということ。
つまりは横の関係だ。
どんなに小さくてもひとりの人と人。対等な関係でいたい。
頭ごなしにものを言ったりするときに、
「なんで自分はこんな言い方になっちゃうんだろう」みたいに思えるならまだ良くて、自分の威圧的、抑圧的な言い方に気づいてもいないようなら重症だ。
子どもに強く何かを言ったりやらせたりする、その先にはたぶんちゃんとした人になってほしいみたいな思いが隠れてたりすると思うけど結局それやっててもあまり成果って感じられないと思う。
(感じられてるならそれはそれで危険。子どもがロボット化してるよ。)
子育てって親の想像力がすごく大事だなって思ってて、自分もそういう扱いを受けてきた人もいるかもしれないけど、そのとき自分がどんな気持ちだったか、
心臓がギュッてなって体を強張らせてはいなかったか、涙を必死にこらえはしなかったか、それをちょっと子どもの頃の自分に戻って感じてほしいのだ。
逆にすごく優しくされたときは?
胸があったかくなってホッとしたり、受け入れてもらえた安心感で体が緩んで笑顔になれたり。
思い出せるかな?
想像できるかな、、、?
もしも、今度子どもへのちょっとしたお小言とかしたときに
子どもの顔をよく見てほしい。
そして感じてほしい。
心の中の温度、体の感覚。
それはもしかしていつかの自分が感じてたものと同じかもしれないよ。
だから、もし自分の言動にモヤモヤするなら
そのときは子どもに優しくしてみてほしい。
できることならギュって抱きしめてみて。
そのとき一緒に、いつかの自分も一緒にギュってしてね、、、。