年が明けたので昨年になるが、年の瀬も迫った12月の終わりから体調を崩し病院通いの続いていたゴンが急変した。
6日間通院し、はっきり言って良くなってるのか良くなってないのかよくわからず不安の残る中、家から近いかかりつけの動物病院は年末年始のお休みに入ってしまった。
何かあればここへと案内された、家から車で30分ほどかかる甲府の病院にお世話になることなく年を越したいという願いは叶わず30日の午前中に久しぶりの食事を再開したゴンは食べたものをすぐに吐いてしまい苦しみ出した。
どう見てもいつもの吐いた後の苦しい感じとは違って、呼吸も荒く身の置き所がないと言うように忙しなく動き回っている。
ただ事ではない様子に、すぐに甲府の病院に電話をかけ事情を説明して出発した。
出発間際、ゴンの姿にお腹が膨れ上がっていることに気づく。次女が「胃捻転」ではないかと言う。私は初めて耳にする言葉だった。
とにもかくにも出発する。すぐに娘たちから電話がきて、もし胃捻転だとすると命が危ない。あっという間に死んでしまう可能性もあるらしい。
今が緊急事態だということはその情報の他にもゴンの様子からはっきりとわかった。これまで何があっても鳴きも吠えもしなかったゴンが悲痛な声で「ウォンウォン」と声をあげ苦しんでいるのだ。
家から30分の道のりの長かったこと。途中で息絶えてしまうのではないかと胸がキュ〜っとなりながらもようやく到着。
すぐに診てもらえて、先生もゴンの様子にすぐにレントゲンと血液検査を済ませ処置をしてくれた。
カウンセリング室に呼ばれレントゲン写真を見ながら説明を受ける。お腹が膨らんだのは胃が空気で膨らんだからとのこと。
その他に今回わかったことは、素人目にもハッキリと分かる心臓部分に大きくくっついた腫瘍のようなものがあるということ。
かかりつけの方でもレントゲンは撮ったけど、それは最初小石を食べてしまった可能性があったからお腹の部分だけだった。
この心臓についた腫瘤が内臓に支障を及ぼしていたと考えられる。今思えばこれまでの体調不良もそうなのだろう。
とりあえずゴンはお腹を針で刺して空気を抜くという処置をしてもらい入院となった。
帰る前に落ち着いたゴンに会わせてもらえた。苦しんでないのはひと安心だが、これからのことを考えると何とも言えない気持ちになり帰りの車中も重い空気が流れていた。
ゴンは預かり犬だ。私たちはボランティアとしてゴンを預かっているけど、ゴンに関しての一切の責任は「保護主」と呼ばれる方にある。
今回のことで保護主さんとも何度も連絡を取り合ってきた。
初めての預かり犬がこんなことになって申し訳ないとしきりに言ってくれるけど、こういうことになることを予測するのはとても難しいことで決して保護主さんのせいではない。
それに私たち家族はゴンに出会えたことを本当に嬉しく思っているしできる限りのことをしたいと思っていることを伝えた。
入院の翌日、年末の忙しい中、保護主さんも駆けつけてくれて私たち夫婦と娘2人が面会させてもらった。
実は今回かかった病院、入院中は毎日写真を送ってくれるというサービス?がある。
それでその日の朝は思いがけず元気そうなゴンの写真が送られてきていた。
先生の説明でも夜から朝にかけては特に変わりなく過ごし落ち着いていたとのことで胸を撫で下ろしゴンに会ったのだけど、、、、、
私たちが行ったことで興奮したのか、それまで落ち着いていたゴンの様子がおかしい。見る間にお腹が膨れ上がってきてしまった。
すぐに先生に診てもらい、処置をするために私たちは待合に戻された。長女は泣いている。
不安な中しばらく待つと処置を済ませたゴンが連れてこられた。ホッとしたのも束の間、そこでもまたすぐにお腹が膨れてきてしまい苦しみ出し、先生に連れて行かれた。
みんなで泣いた。ゴンがかわいそう。もう無理なのか。それぞれに今突きつけられている現実に一生懸命向き合う。
保護犬だからと、命を軽んじるわけでは決してない。
でも心臓の腫瘤を取り除くのはとても難しいことのようだ。
現実問題、検査をして胸を開いて、、、となると山梨では無理で東京まで行かなくてはならない。費用も莫大なものとなってしまう。
実際にこれまで保護主さんのもとで大学病院にかかり手術に踏み切ったワンちゃんもいるとのこと。ただし、そのワンちゃんは2歳の若いワンちゃんだった。
ゴンはハッキリとした年齢はわからないけど10歳はいっている。
手術をしても良くなる見込みも薄い。遠くまで車に揺られ、手術という大きな身体的負担と精神的ストレスを思うといたたまれない。
それに何よりも、体調を崩してこの1週間以上ものも食べられず、病院に通い点滴や注射をされて疲弊しきっているゴンの姿を見てきたみんなの頭の中に一つの選択肢が浮かんでいた。
それを誰かが口にするのを待っていた気がする。
安楽死。
最初に夫が口にしてくれた。でも私も娘たちも同じことを考えていた。
いつ容体が変わるかもわからない中、病院という心細い場所で苦しみもがきながら息絶えるくらいなら、家族みんなが見守る中安らかに眠らせてあげたい。
それは本当に大きな決断で悲しすぎることだけれど、人間の都合で医療行為をくり返し少しばかり命を繫ぎ止めることより、ゴンにとって一番いいのはどうすることなのか。
その日は、保護主さんとも「そういう選択肢も視野に入ってきますね」、、という感じでゴンの容体が急変しないかと心配しながら病院を後にした。
一旦家に帰り、お留守番チームの息子2人にも状況を説明する。そして午後からは末っ子は怖かったようで、家で待っていたいとのことで長男が加わった5人で面会に出かけた。
そのときには家族みんなで覚悟をして出かけた。いや、覚悟なんて全然できてないけどゴンのことを考えたらもうそれを選ぶしかないんだというやりきれない思いで、、、。
またゴンが興奮してしまわないように先にカウンセリング室で説明を受けた後、ゴンが連れてこられた。
その姿に夫は泣いていた。
ゴンは興奮することなく落ち着いて私たちに撫でられていた。
「もう一日入院させてもらえますか」夫が言った。
それは全然構わないですと先生。
帰りながら「思いがけず元気なゴンの様子に、決断できず今日は帰ってきました」と保護主さんに連絡。
「いいんです悩んでくださって、簡単に決められるわけないんですから」と返信をもらい、それからも家族でどうしたらいいのか答えの出ないまま時間が過ぎていった。
翌日の朝もゴンの写真が送られてきた。 そこに映るのは、とてもいい顔をしたゴンだった。 このゴンを人間の判断で永遠に眠らせるというのか、、、。
もうわからない。
わからない。
そんなとき長女が「安楽死」に関する記事を見つけ読ませてくれた。
とてもいい記事だった。
やはり思い切って安らかなまま最後を見届けるのが犬をペットとして一緒に暮らしてもらっている人間の責任ではないか。
最後にしてあげられることなんじゃないか。
今度こそゴンのためにその決断をしようという気持ちで病院に向かった。最後に食べさせてあげるためのササミの茹でたのと毛布を持参して、、。
病院に着きゴンにあった。穏やかで落ち着いた様子だった。
ゴンは少量のご飯を食べたとのこと。量が多いと吐いてしまうとのこと。
先生は一度家に連れ帰ることを提案してくれた。
一見良さそうに見えるゴンだけど、またいつ急変するかわからない。
苦しみながら見送ることだけは避けたいということさえ人間のエゴに思えてくる。
また容体が変わればすぐに診てもらえる。ほんとはそんな思いはもうさせたくないけれど、家に連れ帰ることになった。
昨日帰ってきてからはずっと落ち着いている。
安静にしてもらうためにクレート(飛行機に乗るときなんかに入っててもらうもの)で過ごしている。
夜間は何かあったら困るから私が居間のコタツで寝た。
ご飯はごく少量ずつ食べている。
ずっと具合が悪くて病院に通い、吐いた物の処理をして、下の世話をして、、、を繰り返してたときは他に何も余力がないし流石に疲れて
「この一頭の犬の命を救うことで誰か得をするんだろうか」なんていうネガティヴなものも出てきたけれど、
それは日々の生活や、ましてや年越しの準備や新年を祝うこと以上に当たり前に大切なことだとハタと気付いた。
手術をするかしないか、安楽死を選ぶか選ばないか、どちらを選んでも後悔するんです、、と保護主さんは言った。
今後どうなっていくのか全くわからないけど、そんな中でも人間のためじゃなくゴンにとっての最善を家族で話し合いながら選んでいけたらと思う。
参考にした記事↓