ブログを毎日書かなくなって4ヶ月ほど。その間も私はどこまでも私だった。
特にこの1ヶ月は私生活でいろいろあって。、、、と書くと語弊があるかな。いろいろあったと感じたのは私の心の問題だからだ。
夫が clubhouseにハマったり新しい学びをはじめたり、自分を変えるべく日々の生活の中の習慣を変えたりはもちろん、様々な活動に積極的になったりと、特に私が夫との関係に向き合わざるを得ないような現象が次々と。
これまで「私たち夫婦は共依存だから」と笑いをとってきたことがあながち冗談でもなく、そしてむしろ夫に依存されてるくらいに思っていた自分が完全に夫に依存していることを突きつけられ大ダメージを受けた。
あ、、、もしかしたら「今気づいた!?」って思う人ももしかしたらいるのかもしれないね(^_^;)
ある程度の依存は自覚してたけど、ここまで私のすべてと言っても過言ではないほどの依存とは思いもよらなかった次第。
4月に入った頃、私は自分史上一番と言っていいほどの苦しみの中にいた。子どもたちが次々に学校に行かなくなった頃本当に苦しみもがいたけど、それ以上だと感じるほどだった。
生きる意味、自分の存在意義がわからなくて(これまでもわかってたわけではないのだけど)人生詰んでた←今流行ってると思われる若者言葉がしっくりきてた(笑)
毎日暗い顔をして農作業中の夫との会話も続かず私はどんどん自ら孤立していった。1人の世界に入り込み孤独を感じ尽くしていた。
そんな私だったのだけど、子どもたちはそんなことは知らないだろう。たぶん子どもたちの前では少し疲れてるくらいの振る舞いをしていた気がする。
それでも畑や家の片隅でビービーと泣いては苦しさを満喫していた。
そんな日々が続いて、ある意味底を突いたのだろう。私は深い海の底から微かな光を頼りにゆっくりゆっくりと浮上してきたのだ。
正直、「クソー!クソー!」という気持ちがあった。これまで散々自己探求してきたつもりでいた私が、全然自分を知らなかったからだ。
私の人生のど真ん中に夫がいて、私の一挙一動はその夫の言動や立ち居振る舞いによってなされていたのだ。
でも私も薄々気づいていた。夫に父親を投影していることに。
夫との関係を通して生み出される感情のほとんどが、父親からの無条件の愛を求めて生み出されているものだということに。
私はここだよ。
私を見て。
私を大切に扱って。
私を愛して。
どこにも行かないと言って。
私より大切なものなど何もないと証明して。
私を最優先にして!!
私はあんなに変わることを求めてた夫が良くなりだしたら、それはそれで文句がいっぱいあった。目の前の人、すなわち家族を大切にせずに自分がやりたいことばかりをやるなんて。
「私」を「家族」という言葉のオブラートに包んでもっともらしいことを叫んでいた私は、「ただただ無条件に私を愛して。」「私を最優先にして!」と言いたかっただけなのだ。
私は今ある講座を受けている。
島崎晴美さん、改め新開晴美さんの『円満ライフメソッド』だ。
新開晴美 プロフィール
このことをあまりおおっぴらにしていない自分がいた。
なぜなら、以前誰かに「ゆっこちゃんていつも悩んでるよね。」と言われたことがあるくらい私は常に何かしら悩んでいて、そんな自分をカッコ悪いと思っていたからだ。
悩んでいれば人に心配してもらえる。
私にとって悩みはなくてはならないものだった。
そんなビリーフにもとっくに気づいていて、でもそれをいまだに大事に大事に持ち続けている自分もいる。
もちろん自分で意図して「今度はこのことについて悩もう!」なんてやってるわけではないから、自分としてはやっぱり苦しい。
今回この講座の受講を決めたのは、やっぱりそういうところから解放されてもっと自由に軽やかに生きたいと願う自分がいたからだ。
先日の個人セッションでは、私は夫を応援するいい奥さんでいたいと願いながら心の中のネガティヴなものを隠し表ではいい顔をしている、とんだ嘘つきだということがわかった。
最悪だと思った。
自分の願いに反することをしていた。
結局自分の気持ちに蓋をし続けた結果がもたらしたものだ。
私も何かあるたびに寂しさを感じて勝手にひとりぼっちになっていく習慣を脱していきたい。
脱していく人になる。
そして私が嫌な気持ちになったときに反対側にいる人の気持ちを想像できる人になる。
これも夫の学びのシェアから「〜したいと思う」や「できるようになりたい」ではなく、言い切る形を選択。
自己探求はまだまだ続く。
もしかしたら生きてる限りずっと続くものなのかもしれない。
自分を知ることが生きることなのかな。
これからは自分の本音を置き去りにせず、小さな望みを一つずつ叶えてあげる自分になる。
それが自分にとっての幸せだし、家族やまわりの人の幸せにもつながるのだ。
夫や子どもたちと共に生きている今と
この私として生きることを選んだ魂に感謝しながら、健全な関係を築いていこうと誓う春の1日だ。