常識的には「遊んでばかりいないで少しは勉強したらどうなの!?」な世の中になって久しい。
子どもたちが学校に行かなくなって、まぁ、いっぱい悩んだし紆余曲折あったけど、
そんな月日を過ごしてきた中でわかったことは、
子どもは「あたたかく見守ってもらう中で安心して遊んでいれば(過ごしていれば)それで万事大丈夫」ということだ。
不登校になったらとにかく親は「勉強が遅れる」ってすごく焦るわけだけど、
国語・算数・理科・社会、、、といったいわゆる科目学習を「勉強」と言ってるだけであって、
しかもそれらは受験のためのものであって、子どもの進む道に必ずしも必要とは限らない場合も多い。
「そうはいっても、せめて読み書きくらいは、、、」
これもほぼ100パーセントと言っていいほど親が思うことだ。
確かにそこを手放すことはとても恐ろしいことに感じるし、そこをなんとかしてあげるのが親の務めとも思いがちだ。
でも、うちの子どもたちはもちろん、まわりの学校行ってない子を見ていても確信するのは
「必要なことは勝手に身についている」ということだ。
気づいたら、、、ひらがな、カタカナどころか漢字も読んでたり、
気づいたら、、、時計読むようになってたり、
気づいたら、、、カッターをうまく使ってたり、
気づいたら、、、教えてもいない敬語で答えていたり、
気づいたら、、、自分で家にあるものでお腹を満たすようになってたり、
気づいたら、、、スマホやパソコン使いこなしてたり、
気づいたら、、、ゲームの勝ち負けやマナーで人間関係をリアルに学んでたり、、、
子どもをちゃんと見守っていたら、キリがないほどできることも知っていることも増えている。
「勉強もしないでこんな事ばかり、、、」というメガネをかけ続けている限り、親の大好物であるはずのそんな
「輝かしい成長」は全く見えてこないのだ。
結局大人が良かれと思って言ったりやったりすることは、子どもにとって全然「良かれ」じゃないことの方がほとんどで、ことごとく子どもの自信を失わせるものであり、生きる気力をも奪いかねない行為だ。
ゲーム、YouTube、TikTok、ゲーム、YouTube、TikTok、
家で過ごす子の大半がこれらのことにかなりの時間を費やしている。
大人はつい「なんの意味もない」とか「将来なんのためにもならない」って簡単に思っちゃうけど、
それは大きな間違いだ。
子どもがそこまで熱中していること、飽きもせずやり続けいていること、それがすごいことであって、
依存している、、、だなんて取り上げたり制限をかけるようなことはあってはならない。
遊びの中にこそ生きた学びが溢れていて、それこそが生きていくのに必要なことならば、そっちを「勉強」と呼んだ方がいい。
せっかく学校に行っていないのだから、行っていたら出来ないような勉強をたっぷりしてもらうのがいい(^^)
私はそれを超絶おススメしたい。