今年のサクランボと桃の収穫期が終わった。
今年はどちらも私たちの農園にとっては少し苦しいものとなった。
心身ともに疲弊しながらも夫婦で、そして家族で乗り切る収穫期が私はたぶん好きだ。
心が動くことの連続だからだろう。
今年はというと、苦しい状況に夫が元気をなくし通しでそれが辛かった。
たとえどんな状況であろうとも、夫婦で心を通わせ共に作業することが私にとっての幸せだからだ。
心がどこかにいってしまっている夫の様子に、私は寂しさと少しの困惑、そして苛立ちを覚えていた。
今がこういう状態なだけで、ずっとこうではないということを私は自分に言い聞かせ毎日を過ごした。
今もそんな感じだ。
逆に私がこういう状態に陥ったとすると、夫は絶対に私を焦らせたり問いただしたり言い聞かせたりなんてことがないだけに、私もそうあろうとしてはみるものの、
私にとって目の前の夫をただただそのまま受け入れることが難しく、私は夫ではないのだと痛感させられる。
ともすれば四六時中、夫のことを考えてしまっている自分に気づき、夫をどうにかしたい、どうにか前向きに生きるべきだと考えている時点で、
私はやっぱり自分に取り組むしか術はないのだと認めざるを得なくなる。
夫や子どもたち一人ひとりに気持ちを持っていかれがちな私には、
たぶんもう少し自分を優先する場面が多くていいのかもしれない。
妻や母親を重く背負いすぎてるのかもしれない。
もっと軽やかに、自由に、毎日を生きるレッスンのはじまりだ。
かつての「オラオラ」な母ちゃんと、今の「優しいばっかの母ちゃん」を足して2で割ろう。