高校生の時からお付き合いしていた方との短大の2年間の遠距離は楽しいことももちろんあったけど、たださみしいだけだったという思い出が強い。
なかなか会えなくて会った後のさみしさは尋常ではなかった。
今ならわかる。
さみしい病だったのだから。
愛されてなかったわけじゃない。
一緒にいたいのに一緒にいられない状況が、子供時代の自分と同じだっただけ。
家族で一緒にいたいのにいられなかった幼い私が心の中で泣き叫んでいただけ。
短大卒業後、せっかく近くで生活できる環境になったのにお別れした。
愛されてないと思ったから。
夫と出会いしばらくは失恋モードではいたが、私の人生を楽しいものに変えてくれた夫とは順調に時が流れていった。
でも愛情が深くなるほど私の『さみしい病』がムクムクと顔を出してきた。
どうしても今一緒にいてほしい!と思うと、もう自分でもどうにもならず、夫が大切な用事で出かけているときでも電話をかけ『すぐに帰ってきて』と泣いて困らせた。
一緒にいるときでも、夫の友人が一緒だったりすると私は自分が放って置かれる状況が許せなくて後から責めたりもした。
母親になり、こどもが1人増えるごとに私は鎧を身にまとっていった。
今考えると身にまとう必要なんてない鎧だった。
それでも守るものができた私は、強くならなきゃ、ちゃんとしなきゃと必死だった。
その結果、心の奥底ではさみしくて仕方ないのに、無意識に『私は大丈夫』のオーラを出し続けていた。
このさみしい病は子どもの不登校によって発見されたもので、カラクリがわかると、現実に起きてることも、今まで夫とぶつかり合った出来事も結びついていった。
茅ヶ崎の竜さんと初めて顔を合わせて話した帰り道『そうか、夫は私を置いてどこにも行かない。寂しくて仕方ないのに無意識に遠ざけていたのは私だ』と、ふと気づきを得たとき涙が頬を伝った。
夫はいつでも側にいてくれた。
何故かどこかに行ってしまう気が無意識の世界で働いていたんだ。
翌日そのことを話しながら涙が止まらなかった。
夫の『どこにもいかないよ』の言葉は私を大きく温かな安心感で包み込んだ。