子ども4人不登校からの学び

子ども最優先主義。

『子どもは何を置いても最優先でなければいけない。』

母親になってから私がずっと守り続けてきたことだ。

もちろん、全てそうできないときもある。

そのときはできなかった自分を責めて次はそうならないようにと反省することになる。

私はずっと、自分がして欲しくてしてもらえなかったことを自分の子どもたちにしていた。

勤めに出なくても許されるありがたい環境なのもそうだが、専業主婦を守ってきたのは、子どもたちが『ただいま』と帰ってきたときに必ず『おかえり』と迎え入れてあげたいという思いからだ。

それは母親として当たり前のことだし子どもたちにとっても1番良いことだと信じて疑わなかった。

宿題の世話を焼き、学校での様子を聞き、遊ぶ時間、食事の時間、お風呂の時間、寝る時間、リズムが崩れないように必死だった。

夕食の片付けを済ませホッと一息つくよりも、少しでも早くお風呂を済ませ寝室に行き余裕があれば絵本を読んであげたい。

そして翌朝のことを考え、遊び足りない子どもたちを無理やり眠りにつかせる。

何年も前今より若いときは、子どもたちを寝かしつけたあともう一度起きてきて、やり残したことをしたりテレビを見たりすることもあったが、歳とともに布団に入ると一緒に寝てしまいその後の自分の時間を持つことはできなくなっていった。

夫とは何度もぶつかり合った。

どうして私ばかりが必死で夫は同じようにしてくれないのか。

男親と女親の違いなのかと考えるときもあったが全く理解できなかった。

育ってきた環境や価値観、考えが違うなんてこと思いもよらなかった。

愛し合って生まれてきた子どもたちのことを同じように愛してくれるのが夫婦だと思った。

長年連れ添った夫婦でも言葉に出さなければ何もわからない。

そもそも私と夫は頭の中が全然違ったんだとわかったときは、

『そりゃあ私が1人で必死なわけだ』と腑に落ち、今まで責め続けてきた夫に本当に申し訳なかったと思った。

そんな私に茅ヶ崎の竜さんは

『少しくらい寝不足になっても、みんなで笑ってる方が良くない?』と言った。

私は『私たちだけの幸せの形』を探すようになった。

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勇気づけアドバイザー金丸由貴子

勇気づけアドバイザー

金丸 由貴子

47歳。果樹農家の嫁。元介護職。 4人の子どもたちが次々に学校に行かなくなり人生を問いただされた39歳から8年経過。 夫とともに自己探求しながら、毎日みんなで笑顔で過ごせるのが何より大事ということに行き着く。 2023現在、長女21歳、次女19歳、長男15歳、次男13歳。