短大を卒業して約5年間、介護のお仕事をしていた。
高校生のとき、周りと同じように何となく『英文科』とか『国文科』とかを選んで希望を出していた。
あるとき違うと気づいた。
私は小学生の頃から障害者に興味があった。
興味があったという言い方は失礼かもしれないが、自分の中で見過ごせない存在だと幼いながら感じていたように思う。
中学生のときは盲導犬の訓練士になりたかった。
高校生になり、何となくそんな気持ちは薄れていたが、ずっと続けていたALS(筋萎縮性側索硬化症)の方との文通の影響もあり『福祉学科』のある短大に志望を変えた。
『お年寄りとか障害者とか、そういう人たちの役に立つことなく私の幸せはない』
なんて、若かったとはいえ自分なりに志を持って行く道を選べたことが嬉しかった。
両親には、甘ったれで何もできない世間知らずな娘と思われていたと思うが、東京に出ることを許してくれた。
入学が決まり一人暮らしのためのアパートを探しに両親とともに上京したときのこと。
行き交う人の多さや電車の多さ、高いビルがひしめきあってる大都会に圧倒された。
制服を着た小学生が普通に電車やバスに乗り降りしている姿を見て、自信を無くした。
無理だと思った。
家に帰り、その日に感じた不安を母親に打ち明けた。
『行けない』と子どものように泣いたことを覚えてる。←どこかで聞いたことのある話だ(笑)
そのとき東京出身の母親が教えてくれたのは、『田舎者は武器になる』ということだった。
田舎者を隠さず、右も左も何もわからないことを武器にすればいいんだよと。
その言葉でどれだけ安心したことだろう。
その言葉通り私は短大で出会った友人たちにいろいろと教わりお世話になった。
コンビニで欲しくもない雑誌を買わされたときは頼もしい友人が返しに行ってくれた。
バイト先で知り合った人に一度宗教に連れて行かれたことは今でも親には話していない(笑)
たった2年間だけだったけど東京で暮らしてたなんて、今は信じられない。
世間知らずの私がど田舎から上京し一人暮らししてたなんて、とんでもない大冒険だ。
あの2年間があって、自然溢れる故郷の素晴らしさを知った。
帰る場所があるから冒険できる。
我が家も子どもたちにとってそんな場所でありたいと願いながら、私もまた冒険に出よう。