不登校明けの娘、
最初は校門でお友だちと待ち合わせしてもらって校舎に入ってたのに、今では1人で行けるようになった。
勉強はチンプンカンプンらしいが、友だちと過ごす休み時間が楽しくて仕方ないようだ。
娘の願いが叶っている今、母親としてこんなに嬉しいことはない。
勉強についていけなくて困ったとしても、それは彼女の課題なのだ。
そこを心配し続けてもし5年生で行きしぶった彼女を無理やり学校に行かせていたら、今あの笑顔を見ることはできなかっただろう。
他の3人はそれぞれで時々行ったり行かなかったり。
1年生になったばかりの末っ子に関しては、そうなるだろうなと思っていたからか、案の定行きたくないと言っている。
もう我が家は『普通に学校に行く』というところからかなり離れているのだから、もう綺麗さっぱり縁を切りたいとさえ思う。
それでもどうにかしがみついていたい自分もいる。
『貧しくて学校に行けない子もいる。』
『楽しいことばかりじゃなく嫌なこともあるけど、みんなそれでも行ってる。』
『勉強できるのはありがたいことだ。』
もうそんなことは百も承知なのだ。
そんなことをクドクドと言い聞かせて行くものならとっくにやっている。
いや、そういうふうに説得して、学校に戻す人もいるだろう。
でも私たち夫婦はそこではないんだ。
もっと振りきれろ。
学校に行かなくたって死にはしない。
変わろうとする自分を
引き止めようとするこれまでの自分。
変わるのが怖いんだね。
怖いよ。
そうだよすごく怖い。
普通が1番安心だもんね。
一生懸命子どもたちをなんとかしようとするのが普通だもんね。
でも、そこじゃない。
私が用意した人生だ。
振りきれ。
子どもたちは大丈夫。