アドラー心理学を用いた講座を受けている。
愛と勇気づけの素晴らしい講座だ。
とはいえ、私は最初自分で申し込んでおきながらとても気が重く、今回はタイミングではなかったんじゃないかと思ったくらいだ。
子どもとのコミュニケーションについて学ぶその講座を受けることは自分の家族が
『今のままではダメ』とか
『改善すべき状況』だということになる気がしたから。
何よりも私はこれまで子どもたちの不登校と向き合って来る中で、すっかり子育てに自信をなくしている自分に出会うことになってしまったのだ。
学校に行かない選択をしている子どもたちを受け入れることは、『どんなあなたたちでも愛する我が子に変わりない』ということを示すこと。
それは私にとって『子どもたちに何も望んではいけない』という無意識の掟を作り上げていた。
私の子どもとして何かをしなければいけないわけじゃない。
人生は誰のものでもない自分だけのもの。自分で決めて自由に生きてもらうことこそが私の望みだ。
そんなことをきっと一生懸命自分に言い聞かせながらここまで来たんだろう。
私は子どもたちにかける言葉や対応に
『これでいいのか、、、』
『傷つけてはいないか、、、』
そんな想いが常にあったようだ。
子どもとのコミュニケーションを学ぶことは、今のままのあなたたちではダメと言ってしまってるようで怖かった。
私は子どもたちを信じてる。
生きる力があると信じてる。
何ができなくとも、何にならなくとも大切な子どもたちに変わりはない。
私が何かを望むようなことを悟られてはいけない。
今まで無意識に思っていただろうそんな気持ちが心の奥底にあることがわかった。
アドラーは人は困難を乗り越える力を持っていると言っている。
私は今のわが家を困難だなんて思っていない。
いや、思いたくなかった。
自分があの子たちだとして、自分のことで母親が悩んだり困ったりしてるなんて嫌だと思った。
でも私は気づいた。
次々と子どもたちが学校に行かなくなり、いろいろなものと闘い続けてきた。
子どもを守りたくて『大丈夫!』とまわりの人たちに明るく対応してきたことも、
良かれと思って言ってくれた言葉に傷つき泣き濡れたことも、
ご近所や親戚から責められる妄想が止まらなかった日々も、、、。
私はたぶん、戦闘態勢で構えながら、傷つき自信をなくした自分を閉じ込めてきたんだろう。
やっと、やっと、そんな自分に気づいてあげられた。
それはアドラーの講座で勇気づけてもらったからだ。
少しずつ元気を取り戻した私は、子どもたちに対して、いろいろなことに挑戦もしたりして、明るく楽しく生きてもらいたいという気持ちが出てきた。
そんなことを思ったらいけないような気がしていた今までだったが、親としてそんな気持ちを持つのは当然のこととも思えたし、そういう力があると信じることこそ本当に子どもたちを信じることだとわかった気がした。
ともあれ、今は日々子どもたちや夫、そして自分に対しても勇気づけの毎日だ。
難しいことはない、勇気づけとは日々の当たり前に目を向けること。
当たり前に目を向けることは一人一人に関心を向け声をかけること。
すると当たり前と思っていたことが、どれだけありがたいことなのかがわかり、自然と感謝の気持ちが湧いて来る。
私の声かけに子どもたちの反応が変わる。
私の声かけに夫も変わる。
夫から私へと勇気づけの循環で家族に笑顔が広がる。
いいことづくめの勇気づけ、全人類に循環すればいい。
心からそんなふうに思う。
夫もブログに書いています↓