3月4月の年度末、年度初めというのは不登校界にとっては本当に苦しい季節だと感じる。
不登校児の母として、ベテランとまではいかなくとも、さすがに新米の域は脱しているつもりの私でさえ、SNSに上がってくる晴れやかな卒園やら入学やらの写真を100%ざわつかず見ることはできなかった。
ピカピカのランドセルを背負ったり、真新しい制服に身を包み写真を撮られる子どもたち。
目を細め見守る両親や祖父母の様子が容易に想像できてしまう。
そんな様子を流し見つつ、学校に行けなかったり行かないことを選んでる家庭では、まわりからヤンヤヤンヤと言われることに対応しつつ、不安になったり腹が立ったり落ち込んだりしながらも自分の軸を確認し、答え合せをしながら過ごしている。
ふと思う。
もしも学校がなかったら、、、、、?
7歳になる年から勉強させる親がどれほどいるだろうか?
子どもに勉強させるのは、『将来困るから』という親が大半だと思うが、
もし高校入試も大学入試もなかったら、、、、、?
成績表も偏差値もなかったら、、、?
子どもは遊びたいだけ遊び、
よく言われる社会性も身に付かず、
秩序を失い、
ダメ人間が出来上がるのだろうか?
そうは考えづらい。
それこそ子どもはそれぞれのタイミングで学び始めるんじゃないだろうか。
それが7歳なのか12歳なのかはわからないが。
それぞれ必要と感じたときに勝手に学び始めるんじゃないだろうか。
学校、、、いわゆる『いい点を取るためだけの学校』『意味もわからず知識を詰め込まれるだけの学校』はもういらない。
『高校へ進むため、大学に進むための学校』はもういらない。
本当の学びは与えられるものではなく、自ら欲したときにこそあるものだと今は確信しているから。