今日は文化学園で学校に行ってない子を持つ親の会『つなぐ会』の集まりがあった。
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台風の影響で運動会が延期になった学校も多く、思いがけず大人数の参加となった。
学校に行ってない子を持つ親の会なのに、運動会が関係あるのは、行ってない子の兄弟は行ってたり、完全に行ってないわけではなかったりだからだ。
子どもたちもワチャワチャとたくさんだった。
キーキーキャーキャーとかなりうるさい。
学校でこの状態だったら
改めて姿勢を正されてお説教を聞くことになるのかもしれない。
でも、ここでは誰も叱らない。
初めての場所や、人数の多さや、いろいろと感覚が過敏な子もいるし、そうやって声を出したりせわしなく動くことでバランスをとってる場合もある。
それは決して何か欠陥があるとかそういうわけじゃなくて、ただの個性だ。
それぞれの個性だ。
学校の中に入ってしまうとそれらの行動は他の子に迷惑をかけるとか、適性がないとか言われて問題児扱い。
誰しも必ず個性があるわけだけど、それが少し目立つというだけで枠からはみ出す扱いになってしまう。
なんの枠なのか。
私は学校の先生、、、特に小学校の先生の仕事は子どもたちと遊ぶことだと思っている。
それだけしてればいいくらいに最近は思っている。
子どもは遊びを求めてる。
なんの制約も制限もない遊びの中から学びが生まれる。
自分を丸ごと受け止めてくれる誰かの存在があってこそ子どもはキラキラと輝いていくはずだ。
でも残念ながら今の日本の教育はそうじゃない。
今日集まった不登校親子は、ただその日本の教育に合わなかっただけなんだけど、まだまだそれが当たり前じゃない世の中だから理解してもらえることも少なく傷ついてる。
傷つく必要なんて何もないんだけど傷つかざるを得なくなっている。
だから、今日みたいな場では誰にも否定されない、丸ごとのその人をその子どもを受け止める場でありたいと思う。
最初こそそれぞれの子どもたちが危なっかしい関わりをしてるように見えたけど、
時間を過ごすにつれ子どもたちがお互いの距離感がわかってきたり場になれたりで、お母さんたちもそれぞれ心の内を話す時間を持てたと思う。
どうしても
『大人が話をしてるんだから少し静かにして』とか、
『そんなに乱暴にしたら壊れちゃう!』とか、
『もういいかげんにして!』とか
言ってしまいがちな場面でも、やっぱり子どもを見守りたい。
子どもたちは自分たちで考えて感じて経験して学ぶ力を持ってるから。
まあ、そうは言っても私も末っ子の言動にザワザワしてしまうけど(^^;
それはさておき、ちょうど一年前場作りを始めてから、まさかこれほどまでに不登校の親子と繋がれるとは夢にも思っていなかった。
最初に次女が行かなくなって途方に暮れてた私に『そのままで大丈夫だよ!』
と言ってあげたいものだ。