1人目、次女が学校に行かなくなってまず私が最初に泣きついたのは保健の先生。
そして教師歴のあるママ友。
そこで『今は焦らず無理させないほうがいい。』と言われ、そのとおりに。
これが公教育の行く末だと今ならわかる。
決して間違ってるとも言えないけど
私は多くの人や専門の人がどうしてるのかを確かめ、言われたとおりにした。
確かに当時の私は次女の心を守りたいと必死だった。
無理はさせたくないとも思っただろう。
そこで焦らないほうがいいと言われ安心した。
もしそこで、『最初が肝心。可哀想だけど無理やり引っ張ってでも連れてくのがいいよ。』と言われたらそうしていたか?
それも考えにくいのだけど、、、。
子どもが不登校になると、多くの親はブログとか読みまくる。
答えを探すのだ。
今起きてることの説明と解釈を求めて。
子どもがどうしても行かないとなると、
『学校行ってないけど自分のやりたいことやって生き生きと毎日を過ごしてる例』や
『学校に行かなかったけど今立派に生きてる人』を探す。
安心を求めるのだ。
今起きてることは悪いことではなく、明るい未来へつながっていることを信じたくて。
それほど『学校』という存在は『絶対』なのだ。
そもそも学校に行くか行かないか決めるのは本当は親じゃない。
子ども、、、特にまだ低学年ともなれば親が代わりに判断してやらなければならないと思いがちだ。
『子どもは何もわかってない』
この言葉をこれっぽっちの疑いもなく言う大人もいる。
仕方ない。
そんなふうな対応を自分もされてきただろうから。
でもここで、勇気をもって
『子どもはなんでもわかってる』
『自分のことは決められる』
『生きる力を持っている』
そんなふうに信じてみてもらいたい。
偉そうに言う私も時折出てくる迷いと向かい合いながらではあるけど、
子どもの持つ力を信じて見守り続けたいと思ってる。
というよりは、今目の前にいる子どもの姿が全てを物語っていると思う。
学校に行かないと言ってるなら、学校に行くことで自分の身に起きることから自分を守ってるのだろう。
または行く意味がわからない。自分には必要ないと思っているかもしれない。
宿題もしないでゲームばかりしてるのなら、宿題はそれほど重要ではなく、提出しないことで起こることの心配よりゲームをしたい気持ちが大きいのだろう。
ちょっと理屈っぽいけど、
子どもはかつての自分の姿だ。
忘れてた何かを思い出させてくれる彼らから学ぶことがたくさんある。
あなたにも、人と違うけど別に平気、、、なんて思ってた子ども時代ありますか?