子どもたちが不登校になり自分の人生を問われるまでの私は、
いつでもどこでもどんなときでも何をしていても
親の顔色を伺い、親の喜ぶ選択をし続けてきた。
思春期の反抗期も中途半端で親離れというものをできないまま大人になってしまった私は
18で家を出て以来もうずっと離れて暮らしてる親の手の中にいた。
それは確かに私が今日まで生きてくる力になったけど、
もうそれがなくても生きられるんだと認めざるを得ないときがきた。
それをたよりに生きてる限り、私の力は出しきれないことがやっとわかった。
親の承認が欲しかった。
『あなたならできるよ、思うとおりにやってごらん。』
それを得られたら私は百人力で何にでもなれる、そう信じていた。
でも違った。
どれだけ渇望しても得られないものがある。
だからといって私が終わるわけではない。
それでも進むのかと問われているのだ。
そのくらい進みたいと強い気持ちを持っているのか試されているのだ。
今の私がいるのは間違いなく両親のおかげだ。
これからは自分の足で立ち、自分を生きることで感謝を伝えていきたい。