子ども4人不登校からの学び

明美ちゃんの安曇野1dayワークショップに参戦!

気づくと、高速に乗ったばかりのときに遠く前方に見えていた八ヶ岳をすぐ右に見るところまで来ていた。

明美ちゃんのワークショップに参加するため8時過ぎに家を出て長野県は安曇野に向かった。

*私たち夫婦の心の学びの師匠、岡部明美さん岡部明美 アナテース公式サイト親愛の情を込めて明美ちゃんと呼ばせていただいている。

緊張していた。

私の中の闇と対峙する覚悟もできていたつもりだ。

緊張を紛らわそうとマッキー大音量で大熱唱。

そんな私をマッキーはお見通し。

立て続けにライフソングを歌ってくる。

運転しながら、すでに一瞬でも気を許したら涙を塞きとめてるものが崩壊しそうだった。

自分が完全に悲劇のヒロイン劇場にいるのはわかっていた。

これをどうにかしなければ先には進めない。

私は私のいる意味を見出せない。

そんな思いに囚われていた。

ワークショップがはじまり簡単なレクチャーのあと、明美ちゃんが公開セッションの立候補者を募った。

私は今回怖いながらもその公開セッション(通称、大まな板)の場に立たせてもらうつもりでいた。

立候補者は5人。(6人だったかな?)

明美ちゃんが

「今日は3人、じゃんけんに負けた人から」と言った。

1回目も2回目も3回目も見事に勝ってしまった。

絶賛「私は大まな板に乗れないビリーフ」発動。

今まではじゃんけんで負け続けてダメだった。

今回は勝ち続けるなんて、、、。

「ああ、やっぱり私は、、、。」

そんな思いが心をジリジリと支配し始める。

セッションは進みちょっと他人事に見てた前半だが家族の座が立ち(ファミリーコンステレーションという手法)

それぞれのメンバーに自分や家族の感情など絡み合う。

終盤、明美ちゃんに呼ばれ座の中へ。

幼児期の本人の代役に立つ。

母に対し

「私は私の人生を生きる」

「もうお母さんの望む娘はやめる」

「私の人生は私のもの」

セリフは忘れたがそんなような言葉を明美ちゃんに促されるままに発する。

発しながらとめどなく溢れ出る涙。

「ああ、私これ言いたかったのか、、、。」

ずっと母のことで悩んで頭ではそんなふうに考えたり自分にそれでいいんだよと言い聞かせてみたりしてきたけど、

「ああ、これでいいんだ、、、。」

そんな想いで大勢の人の前で号泣した自分を恥ずかしく感じながらも、私がそれをしなければ母も娘も幸せになれない。

「これでいいんだ、、、。」

泣きすぎて痛くなった頭でボ~ッとそんなことを考えていた。

2人目は場には立たなかったけど、いろいろと明美ちゃんの説明とか親子間や夫婦間のことばに深く頷きながら見守る。

そして3人目。

これまた本人のつくった座には呼ばれてなかったけど終盤明美ちゃんに呼ばれて本人のお母さん役で場に立たせてもらう。

「夫があんなにひどいことを言ったからって自分を否定なんかしなくていい。あなたの素晴らしさは私がわかってる。

あなたは何をしなくても、何にならなくてもいるだけで素晴らしい。生まれてきたただそれだけで素晴らしい。

それはお母さんがよくわかってる。

お母さんが一番よくわかってる。」

最初こそ与えられたセリフを言っていたが後半、後から後から私の中からことばが出てくる。

ここでも涙がポロポロこぼれる。

パートナーシップについては私もそれなりに夫と向き合ってきた。

今も学びの途中だ。

明美ちゃんが私たち夫婦を例えに出してくれたことが嬉しかった。

そして私はもう、「助けて行く人」なんだと言ってもらえたことが嬉しかった。

行ってよかった。

久しぶりに外の空気を吸った。

安曇野という素晴らしい土地で、清々しくワークショップを終え調子に乗ってFacebookによく登場する有名人の方々と写真を撮りまくる。

調子に乗っても悪いことは起こらない。

バチも当たらない。

すぐ調子に乗るこんな自分もいる。

それを悔いたり抑え込んだりしなくていいんだ。

未来フェスに続き、また私の元気が戻ってきた。

あれ、、、?

明後日マッキーじゃない!?

ヤバイ、また調子乗りまくっちゃう(゚∀゚)

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勇気づけアドバイザー金丸由貴子

勇気づけアドバイザー

金丸 由貴子

47歳。果樹農家の嫁。元介護職。 4人の子どもたちが次々に学校に行かなくなり人生を問いただされた39歳から8年経過。 夫とともに自己探求しながら、毎日みんなで笑顔で過ごせるのが何より大事ということに行き着く。 2023現在、長女21歳、次女19歳、長男15歳、次男13歳。