連日、疲労もピークでつい先日もLPL受講のため上京していた夫の帰宅を待たず布団に倒れこんだ。
その日は昼間どうにも身体が言うこと聞かず、昼休みちょっとのつもりがかなり長いこと眠ってしまった。
畑仕事はやろうと思えばいくらでもやることがあるけど、幸い収穫の合間ということもありそれが許されたし、だから夫も2日間も家を空けることができた。
この忙しい時期に出かけていった夫。
残される私は私で、いろんなビリーフが発動するのでそれなりに大変だ笑
(ビリーフとは、簡単にまとめると「生まれ育つ中でインストールされた自分だけの不自由な思い込み」、、、といったところだろうか)
私の場合は
「大切な人が夢を叶えるためには(やりたいことをやるためには)自分は我慢しなければならない。」
「どうせ私は仲間はずれ」
「私がここにいる意味がわからない」
こんなラインナップが主なわけだけど、それがあるってわかってるから手放すのも持ち続けるのも自由だ。
これらを持ち合わせていると知ってからは以前のように気が狂うほど寂しい思いをしたり夫を困らせたりすることも格段に減ったが、それでもそんな思いが全くなくなったわけではない。
それで夫がLPLから戻った翌朝まだ早い時間に布団の中でいろいろと2日間の話をしながら、「うんうん」と聞いたり、質問したりしながらも私はどうにもこうにもモヤモヤが止まらない。
う〜〜、、、なんだこれは。
気持ち悪いこの感じ。
なんとも言えないモヤモヤ?ムカムカ?ムネムネ??
この感じ、、、
「あのさ、、、この感じ繰り返しちゃってる系なんだ」
夫に言うと
「そうだよね」
普通に話してるふうを装っても、夫は私の少しばかりぶっきらぼうな様子に薄々気づいていたようだ。
「どうする??」
この場合の「どうする?」は
「いま深掘りする?
後にしとく??」みたいな感じ笑
私はその場で深掘りはしんどいな〜と思いつつも、このまま今日夫と1日はそれはそれで気持ち悪いな〜と、、、。
階下に降りて私はまた少しずつ話し始めた。
深掘りするつもりはなかったけど、いま自分にどんな感情があるのか吐き出した。
夫に対して出てきているネガティブな感情を本人に傾聴してもらうという、なかなかなシチュエーション。
それでも心の学びをしてるからこそ、私は打ち明けても大丈夫という確信はあった。
いま表面に現れてきている夫への感情はただ繰り返されてるだけだとお互いわかっているから。
この時のキーワード
「私は尻拭いをしてる。」
夫はこの大切な時期に2日間も家を開けることを義母に黙って出かけた。
私は留守にすることを自分で言って出かけて欲しいと頼んだが、「わざわざそんな火種を作るようなことしなくていいじゃん」といい、私の願いは叶えられなかった。
よく考えれば、畑はもう私たちの代になっているんだし、私たちがどんな予定で畑をしようが休息をとろうが自由なはずだが、これまでの経験上こんな大切な時期に家を空けたとわかったときにはとても面倒なことになると予想された。
私は夫の不在がバレないように、一人でコソコソと畑仕事をし、何か聞かれたら「畑仕事してからちょっと出かけた」ということにしようと勝手に自分一人で小細工してた。
夫が「火種」と言って出かけた以上、それがバレたら面倒なことになる。
そのことを常に意識しての2日間を私は過ごした。
義母にバレる以外にも、夫がいないからといって私まで2日間寝て過ごすわけにはいかない。
草ぼうぼうの畑で草払いをしたりサクランボを見て回ったり、もう必要ない箇所の反射シートを外したり伝票整理をしたり、、、。
そんな報告を夫は聞いてくれた部分もあるが、私が「昨日の天気予報で夜、屋根をおろしておくか悩んだが天気予報が少し変わりおろさないで寝た」
という話をしてるときに途中で何かに気を取られたか最初からあまり聞いてなかったか、完全に話を流された。
それで私はやっぱり
「この感じ、、、!」
と思いむしゃくしゃした。
夫がいない間に私はあんなこともこんなこともいろいろ気にかけたり作業したり小細工したりしてたのに、それを何もわかってない。
感謝もない。
私は畑仕事以外にも知らないところでいろいろいろいろしてる!
そんなことを話す私と冷静に耳を傾ける夫。
そして静かに私に問いかける。
「母に俺がいないこと何か聞かれた?」
「、、、聞かれない、、、。」
「いろいろ気を回してくれたのはありがたいけど、頼んでないよ?」
「、、、わかってる、、、。」
わかってる。
私は頼まれてもいないことに気を回しヤキモキしながら時間を過ごし、それが報われなくて怒っているのだ。
それに、夫の「尻拭い」を私がしなければ大変なことになる」と思っていた。
そんなことこそ頼まれてはいないのだ。
そもそも尻拭いってなんだ???
わかってるけど、、、わかってるけど、、、
納得いかない感じの私にそっと近づき夫が優しく言った。
「いつもありがとう」
はい、涙腺崩壊。
「ああぁぁ、、、私これ欲しかったんだぁぁ、、、。うぇ〜〜〜〜ん。」
幼いあの日の私が癒された瞬間だった。
そう、私は家族のために我慢するのはなんでもなかった。
私が我慢することで家族が平和なら本望だった。
小さなことではあるかもしれないけど、家族の知らないところで自分一人でいろんなことを解決したり自分を励ましたり。
ただ、、、
ただ、、、
たったひとこと「いつもありがとう」
そして「たすかってるよ」
そんな言葉が欲しかったんだ、、、、、。
調子に乗った夫が
幼い頃家族から呼ばれてた呼び名で私の名を言い「いつもありがとう」と言うから
それやめて!とわき腹にパンチをお見舞いし
はい、LPLごっこ終わり!
って笑ったんだけど、
夫がLPL行っててくれて本当に良かったな〜。
私もこれまで学んできて良かったな〜と思えた朝だった。
その後は自分でも同じ自分なのかと不思議なくらいスッキリしちゃっていつも通りの2人で漫才しながら畑仕事ができたことは言うまでもない。
追記: 寂しさに耐えて耐えて耐え抜いていたあの幼い頃、「あなたは我慢しないさい。そうすれば家族は平和なのだから」などと強要されたことなど一度もない。自分が勝手にそうしていただけなのだ。それなのに追体験を重ねすっかり悲劇のヒロイン劇場のドツボにハマり長いこと苦しんだわけだが、そんなカラクリがわかってしまうと自然と笑いが込み上げるものだ。
とはいえ、当時の私にはそうするしかなかった。それが私なりの優しさであり、それがあったからこそ繋がってきた道があるのだ。