子ども4人不登校からの学び

心配性はなおらない。

農繁期も終わりそろそろブログを書こうと思いながら毎日が過ぎていく。
毎日書いてた頃ってどうやって時間作ってたんだろ。私頑張ってたんだなぁ。

8/8,9と久しぶりの家族旅行。
昨年は行かずに終わってしまったけど、海にはそれまで毎年行ってたので今年も行くことに。

子どもたちもそれぞれに成長しており、車酔いが激しくなってしまった子もいて苦しい思いしたのは可哀相だったな(;´д`)
それに、海についても喜び勇んで突撃してくのはもはや末っ子だけになってしまった。

それでも波打ち際で戯れたり砂で遊んだり、まあまあ楽しめたかな?

夫は夫で出発の前日から風邪症状を訴えており大量の水分とビタミンCを摂取。そして熱めのお風呂に何度か入るなどしてなんとか悪化しないようにと努めてくれた。

末っ子に付き合い海にも入ってくれたが、任せきりも酷なので私も交代し太ももの辺りが浸かるくらいの深さまでは末っ子についていった。
でもそれ以上は無理なので進もうとする末っ子にそれ以上行かないで〜〜(ToT)とお願いして浅いところで我慢してもらった。

私は川でも湖でも海でも、水場がとても怖い。
溺れた経験などは記憶にないけど、自分のみならず子どもたちが楽しそうに遊ぶ様子も気が気じゃなくて見ていられない。
夫が遊ばせてくれるのを見てても「もっとちゃんと見てて! そんなに離れちゃダメ! そんなに深いところまで行かないで〜(´༎ຶོρ༎ຶོ`)」
ってなっちゃって具合悪くなるほどだから、なるべく夫に任せて見ないようにしてる、、、。

何年か前に育成会の役員で、ワンデイキャンプに同行したときのこと。
湖でカヌー体験があった。
子どもたちはインストラクターの指導を受け、次々とカヌーに乗り込み湖に出発していった。

あのとき一年生だった長男みんなと同じように出発し、どんどん遠くへ行ってしまった。
その頃はもうそんなにアウトドアなことには積極的ではなかった彼、役員である母のお供として参加してくれた部分も大きい。

だんだん小さくなっていく彼を見ながら生きた心地がしなかった。
一人で乗らせたことを心底後悔した。

思うように進まず困ってるんじゃないか、パニックになってひっくり返りはしないか。
ひっくり返ったとして自分はとても助けに行けそうにない。
インストラクターだって助けに行くまでに時間がかかる。
そもそもこんなにたくさんの子どもたちを一度に解き放ってどういうつもり!?
あっちとこっちで溺れる子が出たらどう対応してくれるわけ!?

スポーツクラブのインストラクターにも不信感と怒りが湧いて、私はひとり自分の中で止まらない悪い妄想と必死に戦っていた。

結局何事もなく無事に体験は終わったが、もう二度とこんな危ないことはさせまいと心に誓った。
そうはいっても、子どもたちが望むことを私の極度な心配性のせいで取り上げることはできない。
カヌー体験をするにしても、もっと浅瀬とかマンツーマンで大人がついてくれるとか、私の不安要素を取り払った形でしてもらいたいと思った。

水場でなくても私の心配性は簡単に発動する。
次女がまだ3〜4年生の頃、学校から帰った後に近所のお友だちと連れだってよく一緒に遊んだ時期があった。
その日も近くの公園で遊ぶと出かけたが、約束した時間になっても帰らない。
夕飯の支度をしていた私の不安と悪い想像は簡単に大きく膨れ上がった。

いてもたってもいられなくなった私は様子を見に行こうとしたが、その日は夫もいたので(その頃は不規則勤務だったためその日によっていたりいなかったり)見に行ってくれることに。

そわそわしながら待つ時間はとても長く感じた。
しばらくして夫とともに帰ってきた次女に私はたぶん怖い顔で「約束の時間に帰ってこないとダメなの!」と言うが早いか抱きしめて泣いていた。

夫も帰りながら「お母さんはすごく心配する人だから、帰る時間を守ってね。」というような話をしてくれたようだ。

それにしても、子どもたちの身を極度に案じてしまう私だが、みんなこんなものだろうか、、、、、?

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勇気づけアドバイザー金丸由貴子

勇気づけアドバイザー

金丸 由貴子

47歳。果樹農家の嫁。元介護職。 4人の子どもたちが次々に学校に行かなくなり人生を問いただされた39歳から8年経過。 夫とともに自己探求しながら、毎日みんなで笑顔で過ごせるのが何より大事ということに行き着く。 2023現在、長女21歳、次女19歳、長男15歳、次男13歳。