不登校, 子どものこと, 学び

「過干渉」を愛情とはき違えるな。

普段本は苦手であまり読まないか、読み始めても途中でやめてしまうことがほとんどの私だが、熱心に読み進め学びとして吸収し今でもいつも心の片隅にあり私と子どもたちのより良い関係構築の助けになっている本が二冊ある。

どちらも子どもをただただ見守ろうという点は共通しているように思う。

甘やかすのはよくないと思いがちだが、やさしくしていいんだということも、、、。

私たち親は子どもと過ごす毎日の中で良かれと思い世話を焼いたり手を貸したりする場面が日常的にとてもとてもたくさんある。

いわゆる過干渉だ。

今となっては自分の言動が「これは過干渉だよなぁ」なんて自覚できるが、たちが悪いのはかつての私同様自覚がない場合だ。

例えば学校から帰ってきた子どもに対し(現在我が家で学校行ってるのは高校生になった長女だけだからなんか説得力ないかもだけど笑)、「おかえり」と言うが早いか「うがい手洗いしっかりしてね!」「宿題はあるの?おやつ食べたら先にやってしまおうね。」

ここで子どもが素直に「はーい」なんて答えれば親の言うことをよく聞く良い子ということになるのだろう。

これが日常的に繰り返されるとどうだろう。

子どもは学ぶ機会を失ってしまうどころか自分で考えるということからもどんどん遠ざかってしまう。

子どもの帰宅時の些細な場面でそんな大げさな、、、と思うだろうがほんの一例に過ぎない。

食事の場面、お風呂の場面、着替え、歯ブラシ、明日の支度、空いた時間の過ごし方、寝る時間、 あれやこれやとはじから世話を焼く。

ペットボトルの蓋が固くて開かないのを見て「貸してごらん」と開けてしまうのもだ。

一見優しさに思えるけど、子どもが固くて開かないな、、、と思いながらなんとか頑張って試みることも学び、仮にそこで手を痛くしたとしても学び、自分の力では無理だと判断して近くの人に「開けて」とお願いするのも学び。開けてもらって嬉しかったから「ありがとう」と口にするのも学び、、、。

ただ学校に通う子どものいる家庭の事情もわからなくもない。

今どきの子どもたちはとても忙しい。

親が口を出して効率よくことを進めたい気持ちも本当によくわかる。

そして私が今「見守る」に徹する子育てを心がけ実践できてるのは、学校というものに支配されない日常だからというのも大きいだろう。

見守るのってすごくすごく忍耐のいることだと思う。

自分がアドバイスしたり手を貸したりする方がよっぽど簡単だ。

学校には行ってないが、学園を訪れる同年代の子どもたちや大人たちと関わる機会が時々ある末っ子については、その関わり方を見ていて夫婦ともに心穏やかに見守ることができないことも多い。

それでもうるさいことを言わないようザワザワしながら息子とその相手との関係づくりを見守る。

「親として躾がなってないんじゃないの」とか思われるんじゃないかという恐れに耐えきれずにその相手だったりその親御さんだったりに謝ることもあるし、

末っ子以外の子どもたちに関しても余計なこと言っちゃった、やっちゃった、ということもまだまだあるけど、努めて子どもの学びを奪わない選択をしていきたい。

子どもは見ててくれる人がいたら、例え傷ついたり失敗したりしてもそれを学びとして次に進む力を備えているのだ。

親は子どもを見守り、「悔しかったね、悲しかったね」と気持ちに共感し、本人が望むのであれば一緒に考えたり手伝ったりすればいいのだ。

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アイスクリーム療法