子ども4人不登校からの学び

不登校生活を支える1本の柱。

先日夫と「うちって不登校になって学校とのやりとりとか先生とか、ひどい目にあったり嫌な思いしたことってそんなにないよね」っていう話になった。

確かに私たち家族は言ってみればラッキーな部分は大いにあると思う。

学校や先生たちって、やっぱりリーダーである校長のあり方、考え方で決まる。

当たりはずれと言っては大変失礼だとは承知しつつも、わが家は「当たり」が多かった。

自分で書いていて「当たり」ってなんぞや?と考えてみたところ、

「害がない」みたいなことかな、、と(^_^;)

寄り添ってくれる。

寄り添いが足りなくても家族に不快な思いをさせない。

干渉しすぎない。

自分勝手な言い分だとは思うけど、不登校の家族は干渉されすぎても嫌だし、干渉されなさすぎても嫌なのだ。(わがままw)

当たりが多かったのも大きいとは思うけど、

もしかして、「わが家だから不快な思いせずにこれた」ってこともあるのかな、、、???

って考えた。

そこで一つ思い当たることがあるとすれば、私たちはどんな場面でも

「困ってない」こと

「何か必要があるときには助けてもらいたい」こと

を伝えてきたことだろうか。

「困ってない」というのは、学校の勉強はいつでもやりたくなったら方法はいくらでもあると思ったし、学校に行かないことで大人になれないわけでも幸せに生きれないわけでもないということを、

嫌というほど自分と向き合って自問自答し、夫とも葛藤を共有し合い続けて出した答えだ。

ただ、この先子どもたちが絶対に学校に行くことはないとも言い切れないし先のことはわからない。そんな中で先生の力が必要になるかもしれないからそのときは助けてもらいたいということ。

もちろん先生の何気ないことばや態度にモヤモヤしたこともある。

それによってやっぱり私たちのやってることは親として間違ってるのだろうか、もっとできることやしてあげることがあるのではないだろうかと葛藤することもあった。

ただそうやって迷って立ち返ったときに、いつでもブレずに堂々とドシンとそこに立つ一本の太い柱があった。

それは

『子どもたちが今日笑って過ごせるか』

そしてその太い柱の真ん中には「子どもたちは大丈夫」という揺るぎない芯が通っているということだ。

今では世間一般的な価値観とはちょっとズレのある私でも、以前はコロナさんに踊らされる民衆と同じく自分の頭で考えることをせずに、まわりを見ては同じにすることに尽力していた。

子どもたちにもまわりと同じでいられるよう「親として」立ち居振る舞い接していた。

いま辛くても、将来のためにはそれが正しいとか幸せとか信じていたのだろう。

そう、将来のために今を生きていた。

将来困らないように。

将来自分らしく生きれるように。

そんなもっともらしいことを口にしては「いま」の子どもの気持ちや自分の気持ちを無視していた。

不登校になると「将来のために」今がんばりましょう。

ちょっと辛くても必ず力になりますから。

みたいなことってありがちだけど、

それをやってきたら不登校になったっちゅーの。

子どもたちが笑顔をなくし、しんどくなった。

だからそれはちょっと違ってたってことだった。

「わが家にとっては」

苦しくても頑張り続ける人も家族もいるだろう。

そうするしかない状況とか、いろいろ抱えてる事情もみんな違う。

そんな中で私たち家族(というより私が、、、かな)が出している今のところの答えは「今日」「いま」を大切にすることだった。

この先それが変わることがあるかもしれないしないかもしれない。

何はともあれ、日々起こる様々な出来事に対して柔軟なものの見方ができるようになったのは不登校から授かった賜物だ。

あんな考え、こんな考え、あの人の感じ方、この人の感じ方。

正しいとか間違ってるとかじゃなく、それぞれの違いを「へえ〜」って面白がれたら、みんなもっと楽になるね(^^)

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勇気づけアドバイザー金丸由貴子

勇気づけアドバイザー

金丸 由貴子

47歳。果樹農家の嫁。元介護職。 4人の子どもたちが次々に学校に行かなくなり人生を問いただされた39歳から8年経過。 夫とともに自己探求しながら、毎日みんなで笑顔で過ごせるのが何より大事ということに行き着く。 2023現在、長女21歳、次女19歳、長男15歳、次男13歳。