不登校, 家族, 子どものこと

末っ子の苦悩。

このブログでも何度か登場している私の人生の師匠、わが家の次男で末っ子9歳。
いつも「人生は自由である」ことを身をもって示してくれる存在だ。

それは時として私の胸に突き刺さる言葉だったり驚かされる行動であったり、彼の空気感そのものであったり、、、。

金丸家きっての自由人、兄弟の中でも人に対するハードルが低くわりと誰とでもおしゃべりもできてしまうし興味のあることに対しての行動力もある。
彼を知る人は「自分の考えを伝えることができて活動的で元気なイメージ」を持っているかもしれない。

その反面、とても繊細な部分を持ち合わせてもいる。
体の感覚的なこともそうだけど、その小さな胸に秘めていることが何かしらの形で現れることもある。

保育園の年長の時。
農繁期は全く余裕がなくてその時期だけは延長保育で普段よりもかなり遅くまで保育所で過ごしてもらっていた。

帰ってきてからも余裕なくご飯やお風呂を急いで済ませ寝かしつける。そんな毎日に申し訳なさを感じつつもとにかく農繁期が終わるまでと心の中で唱え乗り切る日々。
そしてある日次男の頭に発見された円形脱毛症。
ショックだったな、、、。
こんな小さな子どもでもなるんだ、、、って。
私も若かりし頃に円形脱毛症になったことがあり、その頃を思い出すとすごく苦しい日々だった。
それを踏まえて次男のことを思うと、私の測り知らないところでその小さな胸を痛めていたそのことがショックで私はさらに自責の念に苛まれた。
(親が忙しく余裕のない日々が原因だったかどうかは本当のところはわからないことだけれど)

自由に生きる彼。
繊細な面を持つ彼。

そんな彼はこの数カ月、「勉強をしていない自分は将来ニートになるかもしれない」というようなことを時折口にするようになった。

毎日ゲームばかりしていて自分はダメなやつだ、、、というようなことも。

そんな言葉を聞くたびに私は
「ニートってどんな感じ?」
「ニートだとダメなの?」
「毎日ゲームばかりしてるのはダメなことなの?」と尋ねてみたり

「毎日同じことの繰り返しのように見えて、いろんなことしてるしすごくたくさんのこと知ったり学んだりしてるとお母さんは思うよ?」と言ってみたり。

でも数日前に久しぶりに一緒にお風呂に入った時に「俺、、幸せになれないかも、、、。」という言葉を聞いたときは、親としてとっても切ない気持ちになった。

私は自分の内心のざわざわを感じつつ「〇〇はそう思ってるんだね、、。」と返した。

彼は自分がとてもダメな人間だと思い暗い将来を想像してしまっているようだった。そんな思いに取り憑かれてしまっている感じがした。
その翌日昼間からため息が止まらずお気に入りのタオルケットを頭から被り静かに泣いていた。

私は側に行き少し頭を撫でたり背中をさすったりしながら彼の言葉を待った。
やはりネガティヴなことを言ってる。よく言う「病んでる」という状態だ。

私は「お母さん側にいた方がいい?放っておいてほしい?」と聞くと小さな声で「側にいる、、、」と言うので側にいて、少し落ち着いたから
「お母さんちょっとお買い物あるんだけど気分転換に一緒に行かない?」と誘った。

車で向かう先の山の方がどんより曇り空だった。
私は「今日の〇〇の心と同じ曇り空だね。」と言った。
「どんより曇る日もあればザーザー雨が降る日もある。
でも大丈夫だよ、また必ず晴れる日が来るからね、、、。」
息子は黙って聞いていた。

幸いと言っていいのか、その夜は何ヶ月ぶりかに『金丸文化学園』の月一のイベント。同年代の子どもも何人か来ていて息子は嬉しそうに一緒にスイッチをしたり自分のおもちゃを持ってきたりして遊んでいた。

私は「よかったなぁ」と思った。
やっぱり親は子どもの喜ぶ姿が嬉しい生き物だ。

でもその夜、、、つまり昨夜のこと。
昼間の話で寝る時間や起きる時間についても少し悩んでる風だった息子に声をかけ、1時にタブレットのアラームをセットして「これが鳴ったら上においでね。」と言い私はいつも通り先に2階に上がった。

夜中気がつくと息子が私のそばでまたため息というのか、しんどそうに声を漏らしながら身悶えていた。
私はすでに寝ていたから半分寝ぼけながらまた頭を撫でたり声をかけたりしていた。「また明日ゆっくり話すか、、、」と思いながら眠くていたのだが、

息子のあまりの様子に「これは彼の一大事だ」と思いしっかり目を開けて話をした。
話をしたというより、彼の口から多くを語らせようと思った。
相変わらずネガティヴなことを並べるので、なるべくその一つ一つの何が不安なのかとか、じゃあどうなればOKなのかということを冷静に問いながら聞いた。

冷静とは言っても最初私の中でブァ〜〜っと不安が広がった。
これって病院で安定剤とかもらって眠れるようにしたりする感じのやつなのかな、、。生きる気力をなくして人生に絶望してるのかな、、。
私がいつまでも幸せになる許可を自分に与えられないからかな、、!?
(↑すぐ自分の生き方が子どもに投影されて悪影響を与えてると思ってしまう母(−_−;)

でも自分の不安はいったん横に置き息子の話を聞き、私が言えることを言った。
私が言えることというのは、

「あなたは体と同じように頭の中も心も少しずつ成長しているから、ずっと今のままだと思わなくていい」ということや、

「人生には自分ではどうにもできないことがある。
それをどう捉えてどんな選択をしていくかが人生なのかもしれない」ということや

「今ちょっと苦しい思いをしてるけど、それはあなたが一生懸命生きてる証拠だと思う。」

そんなことを、難しいかな?今いうことじゃないかな、、?と思いながら伝えた。

1時間とちょっと話しただろうか。
息子の口から「ちょっとスッキリした、、。」という言葉が出たときには母ちゃんホッとしたよ。

そして「綿棒、、、いい、、、??」と少しはにかみながら聞いてきた。
私は嬉しくなり「もちろんだよ。」と答え息子の大好きな綿棒をしながら呼吸が寝息に変わっていくのを安堵の気持ちで見守った。

今朝起きて真夜中の出来事を夫に報告した。
私なりにあの対応で良かったのかというのもあったし、息子を心配する気持ちを聞いてもらいたかった。
ただただ話を聞いてもらい私は自分にもスペースができたのを感じて少しすっきりした。

11時頃息子を起こしに行き一緒に寝てしまい笑
12時のチャイムで下に降りた。

特に暗い顔もしてないし普段通りの様子を見てまた安心した。

私が息子の話を聞きながら自分に言い聞かせたことは
「息子は大丈夫」ということ。
このまま人生に絶望して精神的に病んでしまったらどうしようということも頭をかすめたけど、でもたとえそうなっても大丈夫。
人間には誰しも困難を乗り越える力がある。
だから息子も大丈夫。
そして他の3人の子たちも大丈夫。
それを信じた。

息子にかけた言葉たちは、いまだ自分の人生を誰かや何かのせいにしている自分にもイタイような言葉たちだったけど、学校に行かず家で過ごしている子どもたちの姿にまたいろいろ教えられ、ともに育っていくのだろう。

息子に丁寧に寄り添ったように、自分にも丁寧に寄り添い丁寧に扱ってあげようと思う昼下がりだ。