次女ちゃんが学校に行かなくなったのは5年生の6月、もうすぐ11歳の誕生日を迎える少し前だった。
今から5年と4ヶ月ほど前のことだ。
今となっては当時のことはモヤがかかったようでハッキリと思い出せない。
娘の心中はわからず私は多分困り果てていたのだが、それを悟られないようにしていた部分と自分でも気づいていない部分があったように思う。
娘は1日の大半をテレビを見て過ごしていた。
録画しておいたドラマやバラエティーをはじから観ていた気がする。
2時間枠のドラマなんかも昼間たくさん再放送されてるから次から次へと観るものはあったようだ。
でも特に引きこもるわけではなく私が出かけるときにはついて歩いていた。
記憶は定かではないが次女ちゃんが行かなくなってから半年ほどで長女さんも行かなくなった。
3人でよくペットショップを見て歩いていた。
ただただ可愛い犬や猫に癒されていたのだろうか。
私はというと、狭いゲージに入れられて陳列してる様子が息苦しくてあまり一緒に楽しんだ覚えがない。遠目に見てたのかな。
ほどなくして、次女ちゃんが「もう一頭飼いたい」と言い出した。
その後の話し合いはこれまたよく覚えてないのだけど、抜け毛が少ないとかいくつかの条件からトイプードルにしようとなり、私たちは思い切って先住犬のあんずに加えイチゴを家族として迎えることにした。
ちんちくりんでフワフワのイチゴはすぐに家族のアイドルとなった。
その当時ときどき面談していたスクールカウンセラーは犬を飼ったという情報を担任を介して入手しており、それに対して「うまくないね」と言った。
→以前にも書いてた笑
スクールカウンセラーはその名の通り学校に戻すことを支援する人だった
学校にさえ行けばいいっていう古い古い古すぎる概念。
私はその日を境にスクールカウンセラーとの面談はやめた。
そのスクールカウンセラーは子どもの気持ちにはこれっぽっちも寄り添っていないと思った。
今思えば面談で話したことは、「娘をどのようにするか」ということで、私の報告する娘の言葉や行動からこれからの対処法をアドバイスしてくれただけだ。
それはなんとかしていずれは学校に戻したいと思っている親へのアドバイスであり、子どもの本当の気持ちを汲み取るようなことはなく、むしろ「子どもなんてこんなもの」というものを持っていて自分の持ち合わせている知識と照らし合わせ「今度はこれを試してみてね」そんな軽々しい感じに思えた。
あえて悪い言葉で書いてしまうけど、そんな当てにならないスクールカウンセラーより、何も言わずにただ可愛さを振りまいてそばにいてくれる犬の方がどんなにか娘の心を癒しただろう。
まあ、当の本人たち(娘たちとイチゴ)にそんなつもりはサラサラないのかもしれないけど、私の目にはそんなふうに映ったのだ。
イチゴを可愛がり続けた次女ちゃんはその約2年後にもう一頭ヨークシャテリアのこてつを迎え、 その後イチゴの妊娠やら糖尿病での病院通いやら毎日の注射やら忙しい毎日のお世話をしながら、将来は保護犬に関わるようなことができたらとできる範囲で勉強をして、つい先日は預かりボランティアとしてデビューもした。
あの日犬を飼うのはうまくないと言ったスクールカウンセラーに聞かせてやりたいものだ。→結局一番言いたいのはそこらしい笑。
娘は学校に行かなかったけど、家にいても大切なことをたくさん学んでるし、自分が欲しいものややりたいことを手に入れている。
でもそう考えると、ある意味スクールカウンセラーには感謝なのかな。
その考えおかしいよなって思えたし、学校行ってたらできないことたくさんやらせてあげよって思えたから。
ワンコたち見てると学ばされることも多いし、ほんと良かったな(^ ^)