小学生が作文の題名に使いそうなタイトル。
3月3日が近づくにつれSNSに流れてくるお雛様たちを目にした私は、
自分が思ってるよりもずっとお雛様に対する思い出が深く、そして大切なものだと気づいた。
ここで強調したいのは「ひな祭り」ではなく
あくまでも「私とお雛様」だということ。
つながりのある友人たちが「飾りました!」と投稿する様子を見ていて私は夫に言った。
『母親って、娘が大人になろうが、家にいようがいまいがお雛様を飾る生き物なの』
我ながら言い得て妙だと思うのだが、このことに同意する世の母親たちは少なくないのではと思う。
もちろん全ての母親がそういうわけではないだろうし、父親が飾る家もあるだろう。
でも少なくとも私のまわりの知人の中では、娘が家を出て滅多に帰ってこないとかすでに結婚してるとかでもお雛様を飾る人がいる。
実際、わが家でも長女は18歳、次女は16歳で、
「お母さん、早く飾ろう飾ろう」とはしゃぐ歳でもないし、長女はこの3年家を空けていた。
それでもお雛様を飾る意味って何だろう。
そこには母親の自己満足な割合がかなりあるんじゃないかと思った。
そして私は一つの結論に達した。
「母親たちは一年に一度、母や家族や親戚や、、、自分を温かく見守ってくれた人たちとの思い出を押入れから取り出しているのかもしれない。」と、、、。
私の住む南アルプス市ではひな祭りが4月3日だ。
なので、出そう出そうと思っていたお雛様を今日みんなで飾った。
この2年ほどサボってしまったので久しぶりだった。
みんなで2階の奥の納戸から大きな箱をいくつも運びながら思い出すのは、
実家の父が嬉しそうに物置小屋と家を往復してはお雛様を運び出してくれる姿だ。
父は、「毎年これはお父さんの役目だ」とでもいうように
言葉は忘れたけど、決まって
「ゆっこのお雛様出してこようね」というようなことを言い私の喜ぶ顔を見てまた喜んでいたように思う。
その父の顔や姿が今日は鮮明に思い出されて今も涙が溢れそうだ。
母はというと、やっぱり嬉しそうに飾っていた気がする。
私が短大の間東京に出ていた時も「飾ったよ」と連絡が来ていた気がする。
のんびり屋でひょうきんな兄は手伝ってるんだか手伝ってないんだかわからない感じで、私たちを笑わせながらまわりをウロウロしていたような、、、。
この辺は実際そうだったか自信がない。
やっぱり私にとってお雛様は
「嬉しそうに運んでくれた父の姿」と、
「私がいようがいまいが七段飾りを飾り続けてくれた母の想い」でできてるようだ。
今日娘たちのお雛様を飾りながら想うのは、
彼女たちが生まれたときの喜びというよりは、彼女たちの健やかな成長を願ってくれたたくさんの人たちの笑顔や存在そのものだった。
そんな気がするのだ。
長女の卒業と父の誕生日で、実家とメールのやり取りがあったばかりだから余計家族に対する感情が揺れ動いたのかもしれない。
40歳の反抗期から4年。
もう両親とたわいなく笑いあえることなんて出来ないのかもしれないと苦しんだ日々。
雪解けはあるかもしれない。
いや、雪はもうかなり溶けているのかもしれない。
そんなふうに思えた春の日だった。