不登校

大丈夫じゃない私でいたかった。

新しい年を迎えた。

盆暮れ正月というのは、親戚が集まり不登校してる身としては肩身が狭い思いをすることも多々ある。

特に同年代の子どもがいる家同士では、やれ今年は何年生になるだとか、やれ部活はどうだとか。
不登校を打ち明けていてもいなくても、なんだか身の縮こまる思いだ。

何も悪いことをしていないのに、なんでこんな思いをしなければいけないのか。また、来たる新学期に向けても、親としてどんな体制でどんな気持ちで子どもと接していくのかも悩ましいところだ。

でも、出口の見えないトンネルにいるように思える日も大丈夫。
これまでの人生でいろいろと大変なことに直面してきた私たちも、こうして今日生きている。

不登校生活を乗り切るコツは、
根拠のない『大丈夫』『なんとかなる』をいかに信じられるかだ。
そして『大丈夫』の材料をたくさん集めることだ。

私のまわりには、学校に行かない選択をしてる知り合いや、過去に当事者だった人もたくさんいて、今日も普通に生きている。

大丈夫なのだ(^ ^)

とはいえ、大丈夫だなんてとても思えない、、、そんな気持ちもよくわかる。

そんなときは目を閉じて、呼吸を落ち着けて、
『私は大丈夫』と声に出して言ってみることをオススメしたい。

私は過去に個人セッション(カウンセリングのようなもの)を受けながら同じことをしたときに、
『私は大丈夫じゃないと言っていたい』という自分の心の奥底の声に気づいた。

私は大丈夫なんかじゃない。

そう言っていれば(そんな雰囲気を出していれば)みんなに心配してもらえる。気にかけてもらえる。
大丈夫な私でいたらみんなに気にかけてもらえない。
私は、人から心配してもらったり気にかけてもらえることこそが愛情だと受け取っていたのだ。

これは子ども時代にさみしい時期を過ごした経験から出来上がった私だけの方程式だった。
それがずっとインストールされたままでこれまで生きてきた。
だから常に何かに悩んで心配してもらえる自分でいたのだ。

子どもたちが不登校になり、そのことを問題として捉えることで、幼い頃の心の傷が浮上してきた。
もちろんこれは無意識の領域。

子ども時代にインストールされた方程式を大人になっても持ち続けるのは苦しいものだ。

悩み事がなくても人は愛をくれる。
それを理解できるようになると、何かに悩み始めたときに
『あ、私はまた悩み事を探してる。暇なんかな笑』
と変換できるようになり、
今目の前の悩み事が悩み事ではなく、ただの出来事、事実だということに気づく。

『私は大丈夫』
そう口にして私のように
『大丈夫じゃない』と言っていたいことに気づいたり、
『大丈夫だなんて思えるわけない!』という気持ちに気づいたら、

じゃあ大丈夫と思えないのは何が邪魔してるからなのか、、、
そこを深掘りしていくと何かが見えてくるかもしれない。

怖れ
怒り
悲しみ
寂しさ
諦め

そんな気持ちが隠れているかもしれない。

ちょっと心の領域の話になったが、子どもが不登校になると、自分や、自分と親との関係なんかを振り返るものだから

参考までに、、、^^