不登校, 子どものこと

「どっちが正解?」をやってる間は本当の平和は訪れない。学校が正義かどうかはその人次第。

私は、SNSとかで親が子どもを動かそうとしている投稿なんかを見るととても強い反応が起きる。

自分の望む方へ子どもを誘導しているのが見え見えだからだ。

・家から出ること
・人と話せること
・家以外に居場所があること
・体を動かすこと
・好きなことがあること

こんなふうなことを良いことと捉えてる考えに猛烈に反発が起きるのだ。

これらのことを良いこととして、それがない状態を良くないと親が捉えてる限り子どもに平穏は訪れないと思っている。

だから、子どもが学校に少しずつ行けるようになったとか、
学校は行ってないけどいろんなイベントとかワークショップとか、そんな人の集まる場所によく行ってるとか、そんなのを見聞きすると
「ああ、子どもは一生懸命、親に応えようとしてるんだな、、」って思っちゃう。

例えば毎日家で自由気ままに過ごしてる子どもに対して親が何かさせよう、行ける場所を探そうってしてるのは

「今のままではダメだよ」っていうメッセージになると思っている。

私はこの「今のままのあなたではダメだよ」っていうものを感じたときに強い反応、言うなれば怒り、、が起きるなということは何となく気づいていた。

じゃあ、なんでこんなに反応が起きるんだろう?
私は子ども時代だったりこれまでの人生でそんなふうなものを感じる経験てあっただろうか??と考えてみた。

思い出しても親からそういうメッセージを受け取った記憶はハッキリ現れない。

このことを夫に話すと、「何か言葉じゃなくても、態度や表情なんかでそういうのを感じたときはあったかもしれないよね」と。

確かに日常の些細な場面で
「さっさとしなさいよ」とか、
「もっとまわりを見なさい」とか、
「気が利かないんだから」みたいなことは確かに態度や表情によって伝えられていたな、、と思い至った。

そしてもう一つ思い浮かぶのは5年前のある出来事をきっかけに起きた母との確執問題。(ありがたいことに、今思うと「勝手に確執完全おひとり様劇場」だったなと笑えるくらいに解決済みw)

あの数年というのは、私は何に苦しんだかと言えば、
自分を変えなければ母には受け入れてもらえないのか!?
愛してもらえないのか!?ということだった。

それゆえに、やっぱり「今の自分」が受け入れてもらえない、つまり否定されることに強く、そして深い怒りと悲しみが噴出する。

それで、冒頭に戻り反応が起きた人のことを「しんどいわ〜」とか夫に話してたら、
「その人がなぜその行動を起こしたか考えてみるのはどぉ??」と言われた。

私「その行動って?何でその書き込みをしたかってこと??」
夫「そう。」
私「何?私の考えが間違ってるってこと??」
夫「いやいや、違うよ。違った視点から見てみるのはどうかなと思っただけ。」

私は私を否定されたような気分になって一瞬イラッとしたものの、
その言葉で「そうだな、、私はその人をジャッジしてるもんな、、」と思い直し、その人がなぜその書き込みをしたかを考えてみた。

すると、その人もきっとお子さんのことでたくさん悩んで葛藤して、行動した結果が良かったからなんだなって思えた。

なんかいい方向に進んだからみんなにも教えたかったんだな、、って。

そこにはその人なりの「正解」があるんだ。
そして私には私の「正解」があって、こっちの方が正しいって言いたい自分がいたんだ。

私はその人に対して、
「何もわかってない」とか
「ちゃんと子どもの気持ち確認してんの?」とか
「子どもはあなたの期待に応えようと必死なだけかもしれないよ?」とか、
そういう気持ちがあった。

でも、待て待て。

自分だってそうだったよね?
初期の頃には今思い出したら「トホホ 」なこと、自分もいっぱいやってきたよね?(ーー;)
って思い出した。

どんなことにも正解なんてない。
ワクチンと同じで、「こっちが正しい、あっちが間違ってる」って言ってる限り本当の平和は訪れない。

私は本当は
「今の日本の教育なんて最悪だ、学校なんてなくなっちまえ」←言い方^^;
くらいに思ってるし、世の中の人みんながそれに気づいたらいいのにって思う。

でも世の中の人みんなが同じ考えなんてありえない。
いくら不登校のない世の中にしたくても、そうそう実現できるものでもない。

いろんな考えを持つ人の中で、私の考えに共感してくれる人や、今まで学校行くの当たり前と思ってたけど、そんなことないのかも、、って思ってくれる人が少しずつでも増えたらいいなって思う。
そのためにできることは、私は私の考えや体験を伝えていくことだ。

そして、この私の考えも「今の時点での私の考え」なんだ。
このまま一生行くのか、また違った考えに行き着くのかなんてわからない。

だからその人も、ときが経った時に「あの時のことは間違ってた」って思うかもしれないし、
「あの時ああしたおかげで今もみんな笑顔で暮らしてる」ってなるかもしれないし、それは誰にもわからないことだ。

夫からの問いのおかげで私は驚異的なスピードで心に平穏を取り戻した。

ただ後から夫には、
「あの質問は、人によっては否定されたって感じる人もいると思うよ」と伝えたら、私だからしてみた質問だよとのこと。

イラッとしながらも、自分に起きてることを俯瞰してみれる自分になれたことは、この一年ちょっとの学びの賜物だ(・∀・)