「ねぇお父さん、あのお話して?ほら、あの三角柱?三角すいだっけ?のお話。」
娘があの話をしてと言うときは、決まって何か不安なことがあったり友だちと何かあったときだ。
「いいよ。」
僕はもう何度話したかわからないあの話をし始めた。
「カウンセリングってあるよね?
人が悩み事があるときに『カウンセラー』って呼ばれる人に、相談に行くやつ。
相談に訪れる人はみんな、
「〇〇がどんなに酷いか』っていう、誰かの話か、
「私はこんなに酷い目にあった」っていう自分についての話をするんだ。
そしてひとしきりその話をし終わった後にカウンセラーが三角柱の形をしたものを見せる。
三角柱って、面が三つあるよね?
その一つ一つに言葉が書いてある。
一つは『悪いあの人』
もう一つは『可哀想な私』
その二つの面をまず見せる。
それから最後の一つを見せる。
そこには『これからどうするか?』と書かれてるんだ。
カウンセラーは、「これからどの話をしたいですか?」と聞く。
そうすると、相談者は自然と『これからどうするか?』を選ぶ、、、
っていう話だよ。」
話し終えると決まって娘はちょっと安心したような顔になる。
何か不安なことがあるのか、
友だちのことを悪く思ってしまうのか、
たぶんそんなことで心が揺れ動いていたのだろう。
僕は付け足す。
「お父さんはね、最後に『これからどうするか?』を選ぶにはね、
『悪いあの人』の話も『可哀想な私』の話も、たくさんたくさんした後のことだと思うんだ。
『あの人はこんなに悪いやつだ』
『もっとこうするべきだ』
『私はこんなに酷い目にあった』
『あの人のせいでめちゃめちゃ傷ついた』
こんなふうな、自分の中にある気持ちをちゃんと外に出してあげて、自分の中にある気持ちを認めてあげる。
そうすると人は心に少しスペースができて、じゃあこれから自分に何ができるかを考えはじめられる。
だからね、『こんなこと思っちゃダメ』なんてことはないから、
心の中ではいっぱい文句言ってもいいんだよ。
『こんなこと思っちゃダメ』って思うと、自分が可哀想だからね。」
僕がそう言うと娘は「うん!」と満足げにニッコリした。
いつもこの話をするときは僕が具体的に娘の悩みを聞く前に、娘は自分の中で折り合いがついてしまうようだ。
いつまでこうして「お父さん、お話しして。」なんて言ってくれるかわからないけど、
そうして頼ってくれる間は何度でもこの話をしてあげようと思う。
〜この三角柱の話は、アドラー心理学が注目された「嫌われる勇気」の続編「幸せになる勇気」の中にあった話だ。
そして今回の話は、数年前にある出来事に囚われずっと悩んでいて、
時折とても心細くなったときの私と、
いつも同じように同じ話をしてくれた夫との会話を『幼い娘と父親』に置き換えて書いたものだ。
私が夫にこの話をせがむとき、私は夫の中の父性を求めていた気がする〜