子どもに関する悩み事で、
初めての人や場所が苦手すぎるとか、外に出たがらないとか、
人と喋ろうとしないとか、不安が強いとか、
お母さんと離れられないとか、朝起きれないとか、
ご飯をあまり食べないとか、
なんか、そういった類のことって多くの親御さんが「困りごと」として抱えている。
でも私は思う。
それじゃダメですか?って、、、。
初めての人や場所って大人でも苦手な人、極度に緊張する人もいるよね。
外に出たがらない、、、外に出る理由がないんでしょう。
人と喋ろうとしない、、、その人と喋る理由がないんでしょう。
不安が強い、、、それがその子でしょ、だめかなぁ、、。
お母さんと離れられない、、、一緒にいると安心なんだもん。
朝起きれない、、、朝は起きるもの、、それは思い込みだ、必要があれば人は放っておいても起きるもの。
ご飯をあまり食べない、、、体質じゃない?
これらを「問題」と捉えることは「負の注目」と言われる。
負の注目をされた子どもの方は辛いよね、、、。
それが「私」なのに。
実は私の子どもたちの中にもこれらに当てはまる子もいるし、
何よりも私自身、子ども時代は相当「おとなしい子」だった。
人と(特に大人と)なんて何を話していいかわからないし、何かを話す必要性もわからなかったし、そもそも何時間でも黙っていられる子どもだった。
私は長い時間言葉を発しないことを苦に感じてはいなかった。至って普通のことだった。
そんな私に母はたぶん困ってはいなかった。
ただまわりが「おとなしい」「おとなしい」言うから、私はそんな自分はダメなんだと受け取っていたと思う。
父親とは10歳くらいを境に話せなくなっていった。
長く一緒に過ごした祖母とも、私から話題を振ったりするようなことはなく祖母から振られた話題に私がひとこと二言答えるという形だった。
母親とは普通に話せていた。
やっぱり「母は私を誰よりも一番わかってくれている」というものを感じていたのかもしれない。
ただ、そんな母が相手でも第3者がいたりすると固まってしまう私に
母親は、「せめて『うん』とか『ううん』とか頷くか首を振るかしなさい」と言っていた。
それなら私にもできたし、今思うと母が私に合わせてくれたということだろう。
もし、「こんなことでは困るから」と無理やりにでも喋らせようとすれば私は頷くことや首を振ることさえできなかったかもしれない。
そんな私が今ではこうして誰が読むかもわからないブログというもので全世界に発信したり、スーパーやご近所の見も知らぬ人と平気で天気の話をしたり、
不登校や心についての話になれば人を押し退けてでも発言する人間になっている。
そのほか成人後、働きはじめてもいろんな不安をいつも抱えていたし、
初めての物事に大きな恐れを抱いていてもなんとか自分と折り合いをつけそれと向き合っただろうし、
行きたい場所や会いたい人がいれば誰に頼まれるわけでもなく出向いたし、
そういうものがなければ家で気ままに過ごしもした。
同じように、自分に本当に必要な早起きなら必死でしたし、寝過ごして痛い目にあってもそれで人生が終わったりはしてない。
偏食も激しく「ゆっこちゃんは何を食べて生きてるの?」と親戚に言われていたけどこうして健康に今日まで生きてきてる。
初めての人や場所が苦手だって、外に出なくたって、
人と喋ろうとしなくたって、不安が強くたって、お母さんと離れられなくたって、朝起きなくたって、少食だって、
お母さん、それが私です。
そんな私では愛してもらえませんか?
そんな自分で生きてるんです。
「治してあげなきゃ」と思われたら辛いです。
「そのままのあなたでいいよ」って
どんな私も「それでいいよ」って見守ってほしいのです。