先日の久しぶりの実家への帰省では、これまた久しぶりに同級生の実家が営むお蕎麦屋さんに寄った。
実家と疎遠になる前は年末といえばそこに立ち寄り、半生のお蕎麦を何軒分も買って帰っては親戚や友人に年末の挨拶のような感じで渡していた。
この数年そんなこともなく、コロナのせいもあって同級生のお宅の方でもさほど不思議には思わなかったかもしれないけど、久しぶりに顔を出した私を変わらず温かく迎えてくれた。
早くに父親を亡くし、母親を助けながら姉妹でお店を切り盛りしている様子にいつも勝手に励まされていた。
忍野村はお蕎麦が有名で他にもお店はあるけど、そこより美味しいお蕎麦を私は知らない。
帰り際たくさんのおまけをつけてくれて、こちらは恐縮するんだけど、「お父さんに良くしてもらったから」と言われて「そんな昔の話!」なんて返しつつも、
そこのお父さんとやっぱり同級だった私の父が、友亡き後のこの家を気にかけてよく顔を出していたんだろうなぁと思いを馳せる。
そして今回は叔母の家にもお土産を持って立ち寄った。
父の妹であり、私が生まれたときはまだ忍野の実家に暮らしており、本当に可愛がってくれた叔母だ。
何も連絡せずに行ったけど会えてよかった。
実家と行き来がなくなっていた間も果物を送ったり関係を続けることはできたはずだし、
母とのことを相談しようと、電話してみようか手紙を書こうかと迷ったときもあるけど、
そのことをどんなふうに思ってるのか、またどこまで知っているのかがわからず、
もしかしたらお叱りを受けるのではという恐れもあり本当にご無沙汰してしまっていた。
ただ、一年ほど前に親戚の葬儀でチラッと会った時に「もっと帰っておいで」と笑って声をかけてくれていたことが救いで、そのおかげで今回立ち寄ることができたとも思う。
叔母は昔と変わらず明るく迎えてくれた。
私が顔を出したことを叔母はとても喜んでくれたようで、翌々日にはお米が送られてきた。
その叔母に限らず、前はそういう物のやりとりとかを「こんな形ばかりのことに意味あるの?」みたいに卑屈に思ったり窮屈に感じてた頃もあるけど今は素直に気持ちが嬉しい。
「誰かが元気でいるように
そう祈ってくれているから
こうして何事もなく
いられるのかもしれない」
マッキーもそう歌っているように、目に見えない「人の想い」の持つ力を私たちはもっと知り信じなければいけない。
言霊なんて言葉があるように、優しい想いも、人を悪く思う気持ちもこの世の中を飛び回ってるんだよね。
「お中元」「お歳暮」「年賀状」
ほんとに形ばかりでそこになんの想いも乗ってないお付き合いは手放していいと思うけど、
「どうしてるかな」「元気にしてるかな」って思い出す相手には、とってもありがたい風習なのかもしれない。
こんなふうに、若い頃は煩わしく感じた風習や地域の行事なんかも、面倒だけど必要なことなのかもしれないと少しずつ受け入れる私は、随分と大人になったのだろうか。
気持ちはいつまでたっても23歳なんだけど、、、。