苦しいときに、吐き出す場所がなかった子ども時代。
ちょっとした心配事や困りごとは母親に打ち明けてはいたけれど、
言ったら親を困らせると思い込んでいた、私にとっての大きな大きな困りごとは打ち明けなかった。
20代、30代、苦しいときに吐き出せる場所は夫だった。
思っていること、考えてることをなかなか口に出せなかった私に夫は、
「どんなことでもいい、わかりにくくてもいい」と、私の言葉を待ってくれた。
40代の今、苦しいときに吐き出せる場所は、やっぱり夫なんだけど、
他にも打ち明けられる大切な存在が何人かいる。
否定せず聞いてくれて、
わかるよ、、って共感してくれて、
よく頑張ってるよって労ってくれて、
そうして私はいつも、自分に厳しい目を向けていたことに気づかせてもらえる。
相変わらず人生には苦しいことが現れて、
それも含めて人生なのだとわかっているけどやっぱり苦しくて、
もう自分をリタイアしたいと思っても叶わず、
無気力に過ぎていく時間をやり過ごしている。
それでも私はこの人生を愛しているのだろう。
誰かの人生と取り替える許可が出たところで、
この不器用に生きる人生を選ぶのだろう。