前回、前々回の記事では苦しみの真っ只中にいた。
私って、側から見れば幸せそのものだと思う。
実際私は、めちゃくちゃ幸せだ。
なんでも受け止めてくれる夫に、優しい子どもたち、
住む家はもちろん食べるものも着るものもじゅうぶんにあって、
良き友人たちや、慕ってくれる人たち。
居場所づくりや保護活動からの教えは人生をとても豊かなものにしてくれているし、
果樹農家では自然の営みを肌で感じることができて、そこでも果物を通してたくさんの人たちと繋がることができる。
健康な体に自由な時間もある。
じゃあ何がそんなに苦しいの?って不思議に思う人もいるだろう。
今回私と夫を悩ませたのは義父の介護をめぐっての義母との意見の相違だ。
(金丸家と関わりのある方でこれを読んだ方がいましたら、どうか私が書いてたことは義母には内緒にしてもらえるとたすかります、、、。)
寝たきりの義父の在宅介護も12年になる。
主に介護をするのは義母と夫とはいえ、私も必要があれば手伝うし、大変だろうなと思うと頼まれてもいない洗い物やゴミ出し、洗濯物や細かな雑用を自分からやってきた。
義父が熱を出したといっては受診だの救急車を呼ぶだのと、家族の予定を急にキャンセルせざるを得なかったことも一度や二度ではない。
それでも、義父あっての金丸家だとも思うし、大変なときに支え合うのが家族だと思う自分もいるからそうやってやってきた。
倒れた当時は首から下はもう動かないと言われ、食べることも叶わず胃ろう(管で直接胃に栄養を入れる)になった義父だが、義母の献身的な介護により劇的な回復を見せ、ピックアップ(四本足のついた杖?のようなもの)を使い家の中を数メートル歩き、柔らかく煮たご飯を食べるまでになった。
だが昨年頃から入退院で体力が落ちたり年齢的な老化も伴い、口から食べることは全くできなくなり、歩くことはおろか、ベッドで座位を保つことも困難になった。
咳払いで自力で痰を出すこともできなくなり、昼夜を問わず吸引を頻繁に行わなければならず、特に今年に入ってから義父の介護にとられる時間がさらに増えた。
それに加え義母も高齢なので、普段は本当にタフで寝込むようなことはほとんどないが、時として突然足が痛いとか、手が痛いとか、そんなことも出てくるようになった。
夫は毎朝義父をポータブルトイレに座らせる。
一年くらい前までは入浴もさせていた。
それもかつて時間をかけて習得した技があるからこそ成せる技で、義父の介護度でトイレに座らせたり1人で入浴させたりすることはなかなか出来ないことだ。
夫は夫で、義父が倒れた当初、在宅で見ていきたいという気持ちがあったからこそここまでやってきた。それに夫のその気持ちを知ってるからこそ私もサポートできることはしながらきたけど、私も夫もさすがに疲れたのだ。
私たちの中ではショートステイ(専門機関に短期間で預かってもらう)を使いながらやっていきたいという気持ちが出始めていた。
だがそれをなかなか言い出せずにいた。
義母の中で、義父を家で見てあげたいという気持ちがどんなに大きなものかを、これまでの12年という月日の中で思い知らされていたからだ。
両親も歳をとるが、当然私たちも年齢を重ね、すっかりいいおじさん、おばさんになった。
夫も私ももともとそんなにタフではない。
むしろヘタレの部類だ。
義父の世話にとられる時間に日常生活が少しずつ侵食されてきて、夫は日に幾度となく母親に電話で呼ばれストレスもかなり蓄積されていた。
これまで義父の介護に対して夫の中では「やらなければならないこと」「やって当然のこと」という認識だったようだが、ここにきて身も心も疲れ果てていてた。
そんな折、義母が年に1度くらいある「義痛風」というやつになった。
今回はこれまでにないほど足が腫れ上がり、相当痛むようだった。
まったく動けず、私たちは義父に加え義母の世話もしなければならなかった。
そして治療法もなく、日柄で良くなるのを待つしかないので、その生活がどのくらい続くのかわからなかった。
こんな事態になれば、さすがに緊急的に受け入れてくれるところに義父を託すのではないかと思ったが甘かった。
義母はいつものごとく、何日かは迷惑かけるかもしれないけど、自分が動けるようになれば問題ないと思っているようで、何の対策も講じなかった。
こんな突発的なことが起きてもなお義父をなんとしても家に置いておきたがる義母にとうとう私のメンタルがちょっとおかしくなった。
その様子に夫ももう限界だと感じたらしく、自分で老人関係の施設に勤めている知り合いに連絡をして受け入れ先がないか当たり出した。
そうこうしいてたら義父がコロナになりあっけなく入院。
その後、義母→夫→私→次男が次々と感染した。
そんなこんなでショートステイ問題はうやむやになりつつあった。
私も夫もどうにか現状を変えたいという思いがあったから、しばらく悶々とした日々が続いていた。
しばらくして夫からの提案で、信頼のおける親戚の叔母(ケアマネ経験者で義父のケアマネしてくれてたこともある)に話を聞いてもらおうということになった。
感情的になりがちな義母との話し合いの場に同席してもらえたらという望みもあった。
ファミレスでこれまでの話をすると、それはそれは親身に聞いてくれると同時に私たちの思いにも共感してくれ、労ってくれ、
私たちが「義父の介護を少し手放したい」と思ってしまうことは当然のことであって、何も罪悪感を感じることではないと言ってもらえたことは、
心に重さがあるとしたら本当に半分くらいは軽くなるような出来事だった。
だが、義母との話し合いには現在のケアマネさんに入ってもらった方がいいということだった。叔母も、義母に対する最大限のフォローはすると言ってくれたので、夫から現在のケアマネさんに連絡し、話し合いの場を作ってほしいとお願いした。(私たちからの希望ということは伏せてもらう形で)
これでやっとちゃんと話せる。
緊張するけど私たちの気持ちを聞いてもらえる。
日時も決まりその日を待つばかりとなったが、義母からは何も言ってこない。
当日になっても何も言ってこないので不思議に思った夫がケアマネさんに連絡したところ
「家族で詰めてからにしたい」という理由で義母が断ってしまっていたのだ。
拍子抜け、、、。
無力感、、、。
私と夫はこの件について2人でも何度か話し合いの機会を持った。
今困ってることをまとめ、それぞれの「こうなったらいいな」を出し合い、
義母に対して責めてもはじまらない。
感情的になっても話し合いにならないから、義母の気持ちも聞こう。(だからこそ第3者にいてもらおうと思ったのだが)
とかとか。
いろいろ。
そんな感じで話し合いに臨むはずだったのに、その機会も失ってしまった私たちは、なんとなく目を背けていたところを見ることとなった。
「これはもう、直接話せってことだね、、、。」
冷静に話せたらそりゃいいかもしれないけど、感情的になったり責めてしまってもそれはそれで仕方ない。
なるようになるさ。
一回でわかり合おうというのも無理があるし。
私たちにやっと覚悟ができたのだ。
夫から義母に「話がしたい」と伝えてもらった。
伝えた翌日の夕方に話すことになった。
そして迎えた当日。朝から緊張していた。
心はパツパツ、呼吸もアップアップな感じだったが、
ちょうど友人夫婦と午後からお茶を飲む時間が持てて、
「今から話すさ(><)」なんてことを聞いてもらえて、
寄り添ってもらったり励ましてもらったりで気持ちも落ち着いた。
夕方。
さぁ、いざ母家へ!!
戦地にでも赴くような心境だ。
ど緊張の中、ふと思い浮かんだことがあり夫に言った。
「ねえ、なんでこんなに怖いんだろうね、、、。
親と話す、ただそれだけのことなのにね、、、。」
「俺たち、もうしんどいさ。もう少し専門の人たちの手も借りながらやっていきたいさ。」
用件はそんな簡単なことのはずなのに。
そう、私も夫も怖くて仕方なかったのだ。
夫51歳、私47歳、こんな歳になっても親に自分の気持ちや希望を伝えること、そしてそれを受け入れてもらえないんじゃないか、わかってもらえないんじゃないかということが
とてつもなくでっかい恐怖なのだ。
親子でなんの気兼ねもなくざっくばらんに話せる人たちももちろんいるだろう。
でも私たち夫婦はそうではない。
そうであったら良かったのにと思わなくもないけど、
そのおかげで今自分の子どもたちには、何かあったときにはなるべく気負わず話してもらえるような自分でいようとすることができるから、その点では自分の親との関係が必ずしも悪いことばかりではなかったとも思う。
だが私たち夫婦には超えなければならない壁があるのだ。
親を越える、、、親離れできていない人にとっては永遠の課題のようにも思える。
それは本当に勇気がいるし、エネルギーも使う。
そして何より、痛みを伴うものである。
意を決して私たちは母家へ向かった。
つづく。