子ども4人不登校からの学び

苦しみの正体②

前回のつづき。
苦しみの正体。

意を決して母家に向かった私たち。
これまでにもこんなふうに、わざわざ時間を作って、ちょっとかしこまって三人で話したことが数えるほどだがある。

子どもたちのことだったり、私と実家の母親とのいざこざだったり、あとはなんだろう?はっきり覚えていないが一つ言えることは、

こうして話す機会を持つときにはいつだって責められるんじゃないか、わかってもらえないんじゃないかと怯えきっていたことだ。

今回私が一番自分に言い聞かせたことといえば、キレないこと。
こう見えて私は劇場型なのだ。
一度自分の中の何かが外れ噛み付いたら、ちょっとやそっとじゃ離さないようなところがある。

事実、この家で暮らした20年とちょっとの間に義母に噛みつきちょっとやそっとじゃ離さなかったことが覚えてるだけで3〜4度ある。

あれはひどかった。全部ひどかった(笑)

私の怒鳴る声に驚いて夫が駆けつけ慌てて止めに入ってくれたことや、
義母本人から「言い過ぎだよ。」と止められたことや、

深々と頭を下げ「大変申し訳ありませんでした!!」と捨て台詞を吐き夫に強制退場させられたこと、

今思い出しても、あんなに豹変しなければいけないほど私は溜め込んでいたのかと自分を痛く振り返る。

でも、その3回とも全部が、義母が夫を理解せずダメ出しばかりをすることに耐えられず逆上してのことだ。

私は日頃から子どもを理解しない親、理解しようと努力しない親、子どもなんてと馬鹿にしてかかる大人が許せない。
まあ、そこを書き出すと別の話になってしまうので話を戻して、、、。

母家のL字にソファが並ぶ客間に3人が会した。
2対1の構図にならないようにとの夫の配慮なのか、私に丸いすを差し出してきたのでとりあえず座ってみたが居心地が悪く、丸椅子を横に置き畳に座った。

夫がまず口火を切る。
兼ねてより伝えているように、今年に入り特に介護に取られる時間も増えてしんどいこと。
ショートステイを自分でも何件も当たっていること。(義父は医療依存度が高く、受け入れ先がとても限られてしまう)
ショートではなく、入所まで考えていること。(これは直前に聞いた私も驚いだが、義母もとても驚いていた。)

途中、何かのくだりの時に、「あ、そのことについて私も、、」と言おうとしてしまったが、「とりあえず、俺が話しちゃうね。」と嗜められる。

ひととおり話し終えた夫に促され私も自分の気持ちを話す。

終始手は微かに震えるほどだったが、冷静に話せてる自分が意外だった。

私は過去を持ち出すことはすまいと決めていた。
いや、正確には過去のことを責めることはしないと決めていた。

それは過ぎたことであり、結局自分で選んでいたことだから。
ただ、そこには私なりの葛藤や想いもありながらそうしていたことは伝えた。

それから、義父の介護度ではとっくに、いや最初から在宅介護のレベルではないこと、だけど夫もプロだしできるからこそここまで在宅で見てこれたこと、

息子が慢性的な腰痛で腰をかばいながら生活しているのを見ているのにそれでもなお毎朝のトイレ介助をさせ続けるのが理解できないこと、

そして今、いつでも疲れ果てている夫は、私や子どもたちが必要とするときに十分にサポートしてもらえず、夫としても父親としても役割を果たせていないこと、

義母が今趣味の習い事も、体力維持のための体操の教室にも行くのをやめてしまったけど、義母にとって数少ないリフレッシュの時間を奪ってまで義父は見てもらいたいと思っているだろうか、ということ、

そんなようなことをつらつらと。

最後に義母が話した。
私たちの話を聞いて、そこまでだとは思わなかったと言った。

ただ、結論から言うと(早いw)

夫が負担に感じている部分を自分が補うから、3月まではショートステイは使わず、今のまま家で見たいということだった。

3月までというのは、かかりつけの病院で新しいサービスが始まるらしく、そうしたら義父のように医療依存度の高い人でもショートステイを利用できるらしく、そこまでは引っ張りたいようだ。

でも私は思った。

まだ準備中のそのサービスが3月に本当に始まるかもわからない。
その時になったら本当に利用するつもりなのかもわからない。
仮に本当にそのつもりだとしても、そこまでのあと半年弱を義母が息子の負担部分を全部1人で補っていくなんて、
タフで根性のある義母だし、何よりも自分がそれを希望しているのだからやり遂げてしまうとも思うけど、

でも同じ屋根の下で暮らしていて腰の曲がった義母1人がてんてこまいしてるのに知らん顔するなんて気持ちの良いものじゃない。

でもそうやってこれまでどんな時も「なんとかして義母の意向に沿ってきた」自分たちが今の事態を招いてるとしたら、ここは心を鬼にして見て見ぬふりをするしかない。

嫌われる勇気ってやつだ。

3人での話し合いの場はとりあえずそれぞれの思いや考えを見せあったまでで終わりにした。

夫は、今日ここで決めてくれとも言わないし、明日から一切何もしないなんてことはもちろんないけど、次はケアマネさんにも入ってもらって意見をもらったり選択肢を提示してもらいたいと義母に伝えた。

義母はそのことを承知してくれ、翌日には連絡をとってくれ、次の話し合いの日程まで決まった。

さて母家から戻った私、信じられないほどの疲労感w

ただ、ずっと自分の中にフツフツとしていたものを出せたことに関してはスッキリしたように感じてもいた。

だが、ここからですよ。
うっすら気づいていた私の中での問題のすり替えに気づいたり、自分がとんでもない悪人に思えたりで
怒涛の自分責めが幕を開けることに。

つづく。

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勇気づけアドバイザー金丸由貴子

勇気づけアドバイザー

金丸 由貴子

47歳。果樹農家の嫁。元介護職。 4人の子どもたちが次々に学校に行かなくなり人生を問いただされた39歳から8年経過。 夫とともに自己探求しながら、毎日みんなで笑顔で過ごせるのが何より大事ということに行き着く。 2023現在、長女21歳、次女19歳、長男15歳、次男13歳。