子ども4人不登校からの学び

義父を見送りました。

義父が他界した。

このブログ内でも何度か書いてきた在宅介護についての苦悩や葛藤に終止符が打たれたのだ。

いつまで続くのか果てしなく思われたそれは、ある日あっけなく幕を閉じた。

過ぎたことでわかることがある。

「失って初めてどれだけ大切だったかわかる」って言うやつだ。

義父が生きている時には決して辿り着くことのできない境地に私は達していた。

それは、ずっと同じ気持ちで介護をサポートし続けることができなかったことへの申し訳なさであり、

それは、いなくなっても果たして悲しい気持ちになれるのかとさえ思っていた義父への尊敬と感謝と、私なりに大切に思っていた気持ちと寂しさであり、

それは、近年心の中で恨みつらみを唱え続けてしまった義母にもまだ抱くことのできたやさしい気持ちであり、

それは、最も近い関係でいろいろな思いを抱えながらも最後までやり遂げた夫への最大の尊敬の念であり、、、。

私は義父が息を引き取った後、本当にさまざまな想いの渦にいた。

そして寝たきりでありながらも金丸家を支えてくれていた義父の存在の大きさを知った。

2011年6月、3期12年勤めた議員の仕事を終え、これから義母と余生を楽しんでいくんだろうと誰もが思っていた矢先に病に倒れた義父。

悲しくて悔しくて、そして不安だった。

私はこの性格上、義父とそんなにざっくばらんに話をする感じではなかったけど、それでも子どもたちがいてくれたからコミュニケーションをとれた部分は大きかった。

久しぶりに集まる親族や近しい人たちから聞く義父のエピソードは、やんちゃを通り越して全然笑えない話も多かったけど(~_~;)

私や子どもたちにとってはただただ優しい義父だった。

なんでも自分で作ったり直してしまう義父の作品は趣味の範囲を超えていた。

今「学園」の活動場所として使っている事務所や、金丸家の家の裏にある二階建ての立派な小屋?は義父がかつて仲間や親戚と共に立てたものだ。

孫たちのために軽トラの荷台にブルーシートを敷き井戸水を汲み(冷た過ぎて入れないw)即席のプールで遊ばせてくれた。

立派すぎるブランコを作ってくれた。

バスケットボールのゴールを作ってくれた。

庭でバーベキューしてくれた。(コタツみたいなテーブルに鉄板ついてたw)

自分で作った野菜をいつもいっぱい持ってきてくれた。

よくカレーを作ってくれた。(よく焦がしてもいたw)

私の願いを聞いて棚をつけてくれたり作ってくれたり、壊れたものを直してくれたり。

畑にさつまいもをいっぱい育てて孫たちの通う保育園をさつまいも掘りに招待していた。

「可愛がってもらったんだから、心を込めて送りなさいね。」

遠く離れて暮らす母親がそんなふうに言うほど、私が帰省のたびに聞かせる義父のエピソードは優しさに溢れていたのだろう。

寝たきりになってしまった当時、たぶん私は相当ショックを受けていた。

何年もその現実を受け入れることができずにいた。

元気な姿を失ってしまった義父のことを思い、悔しくて悲しくて仕方なかった。

それでも倒れたときに「目から下はもう動かない」「口から飲むことも食べることもできない」と言われた義父は、
義母の献身的な介護と持ち前の頑張り屋な性格とで、
一時は柔らかいものを口から食べ、ピックアップという4点の杖を使い家の中を数メートル歩くまでになった。

介護職を介護離職した夫は毎日トイレに座らせ、毎日お風呂に入れた。

私もこの数年は気持ちが追いつかず少しずつ直接的なお世話から

フェイドアウトしたものの、かつては夫の不在には義母と一緒にトイレの介助やシャワー浴をしていた頃もある。

義母が出かけるといえば留守番をしたし、日向ぼっこや食事介助も。

介護生活が長くなり夫も心身ともにしんどくなってきたりで、私は義母に反発する気持ちに折り合いがつかず義父の晩年はちょっと辛く苦しい時期があって罪悪感もすごかったけど、

こうして思い出すと私もできることはやっていたと思える。

もっとできたんじゃ、、、と思いそうになるけど、
たぶんできることはやったんだよ。あれが精一杯だった。

義母の気持ちを分かりながらも、私の気持ちも譲れなくて生意気な口をきいてしまったこともあるけど、たぶん全部仕方なかった。

みんなその時々でやれることをやったのだと、都合がいいかもしれないけどそう思うことにしている。

毎日お線香をあげて手を合わせると、そこには元気な頃のお義父さんがニコニコ笑っていて、許してくれてる気がする。そう思いたいのだろう。

義父のおかげで知れたこと、経験できたこと、
また改めて知った実家の両親の私への愛、
もちろん義母が私をずっと大切に思ってくれていたことも、見失っていたけどちゃんと思い出すことができた。

私はちゃんと金丸家の一員で家族なんだ。

本当に大きな出来事を経て、だけどこれも人生の一つの通過点。

これからも家族の間ではいろいろ起こるだろうし、優しくなれないときもあるだろうけど、

お義父さんがニコニコ(ニヤニヤ?)しながら見守ってくれてるのかなと思うとそれもまた楽しみだ。

まだまだずっとお義父さんの思い出話をしていこう。

私に会うことがある人は、よかったら聞いてやってください(*´艸`*)

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勇気づけアドバイザー金丸由貴子

勇気づけアドバイザー

金丸 由貴子

47歳。果樹農家の嫁。元介護職。 4人の子どもたちが次々に学校に行かなくなり人生を問いただされた39歳から8年経過。 夫とともに自己探求しながら、毎日みんなで笑顔で過ごせるのが何より大事ということに行き着く。 2023現在、長女21歳、次女19歳、長男15歳、次男13歳。