今を否定されることほど辛いことはない。
私は過去に、私のことを知りもしないくせに、私が日々どんなに悩み苦しみ、そして努力しているかも知らずに否定してきた人によってひどく傷つけられた。
いや、その人の言葉によって傷つくことを選んだのだ。
人は人によって傷つけられることはない。
その人の言ったことが「もっともだ」と思う自分がいて、でも「そんなことない!私だってこんなに頑張ってるのに!」と反発するからこそ傷つき悲しむのだ。
その人の言ったことが検討はずれならば「何言ってるの?全然違うよ?」ってなるはずだから。
今ならそうわかるけど当時はそんなことは知らないから、悔しくて悔しくてどうにも気持ちがおさまらなかった。
私はその人の言うような人ではない自分を責めていたからだ。
でもしばらくの間ずっとずっとそのことを考えていて、気づいた。
「私は間違ってない」と。
冷静に考えると、その人の言うことこそ子どものことを考えているようで自分の都合を子どもに押し付けてたり自分の安心のためにやっていることだと気づいたのだ。
いっぱいいっぱい考えて、私は自分の考えや子どものことに関する自分の対応がそれで良かったと心から思えた。
その確固たるものに気づかせてくれるためにその人はこんなことを言ってきたんだな、、感謝だな、、なんて思えたのはもっと後のことだけど、
生きていると日々いろんなことが起きて、それによっていろんな反応が自分の中で起きる。
ただ文句を言って憂さ晴らしをして気が済むくらいならいいけど、そうでない場合は、
自分の本当の気持ちや、心から望むものが何かに気づかせてくれるメッセージかもしれない。
そんなわけで、自分が今を否定されることの辛さを身を持って知った私は、子どもたちに対しても今を否定しないことに徹してきた。
でも私もゼロヒャク思考だからなのか、不器用だからなのか、
いつしか子どものやることなすこと言うこと全てをそのまま受け入れなければ!!になってしまってて、
一時期、家が無法地帯と化し私は自分の言いたいことややりたいことを封じ込めて苦しい時期になってしまったこともまた、今となっては苦いけど愛おしい思い出(笑)