日常の出来事, マッキー

自分の気持ちがわかるようになった私。

「ユキコ〜〜。 シェイク〜〜!」

夕食後の長女さんの声に「あ〜〜、ダメだアイスがない。」

この時期桃があれば桃のシェイクを作ってあげるのだけど、今日はあいにくバニラアイスを切らしていた。

「マックに100円のソフト買いに行かない?(^o^)」

と提案。

結果1人でマックシェイクを買う旅に出ることに。

夫が「一緒に行くよ。」と言ってくれたが、

「大丈夫、マッキーをほったらかしだから、ちっとかまってやらんとね。」

と返し、家族全員にしつこいくらいに「行ってきまーす!」を連発して一人ひとりに手を振り家を出た。

昨夜家族で「グレイテストショーマン」を鑑賞し虜になってしまって以来、リビングのスピーカーから繰り返し流れるのはすっかり劇中で流れた曲ばかりになっていた。

マッキーをかけ束の間のドライブ。

美しい歌声に包まれ、「ああ、やっぱりたまらない。」

満月間近のお月様も私たちのひっそりデートを優しくみまもっている。

マッキーがこれまでにも何度も曲の題材に使ってきた、世間一般的に許されない恋をする2人みたいなシチュエーションだなぁ♡なんて、、、。

少し悩んで行きつけのローソンに立ち寄り禁断のアイスカフェラテを購入。最近はまた中毒気味だけど、今日も頑張ったご褒美だ!

前は「頑張ったご褒美だ」なんて何か食べたり買ったりしても、その場しのぎでちっとも達成感感じたり気持ちが晴れたりするようなことなかった気がする。

かつて人生の壁にぶつかり、自分が何のために頑張ってきたのかどこに向かってたのか何も分からなくなった。

そもそも私は私が何を考えてるのか、何を感じてるのか、自分の気持ちさえわからない自分に出会ってしまったのだ。

途方に暮れしばらくすると、自分の向かってた方向や注力する場所が少しずつズレてたことを知った。

自分から力という力が抜けてしまった。

抜け殻のようになったような感覚もある。

頑張ることをやめて自分に甘くワガママになってみた。

すると今度は頑張ることがダメみたいになっちゃって。

家族の要望に「ごめん無理」とか言うようになりながら、でも何か違うことも肚の底ではわかってたような気もする。

そして最後にはこれまで必死にやってきたことは何も間違っていなかったことを知った。

ただ、自分を突き動かすものが自分の意思からなのか「怖れ」からなのかの違いだったのだ。

だから今私は家事をみんなで協力してやりたいことも伝えるけど、みんなの知らないところでする細かい家事も「みんなの役に立っている、頑張ってるね、私!」と自分に声をかけることができるようになった。

義母と夫の緩和剤にも進んでなるし、「嫁としてやった方がいいよね」とか「やらないとダメだよね」じゃなく

やりたいから入院生活ですっかり体力が落ちてしまった義父の介護の介助にも入る。

怖れの気持ちが全くないかといったら嘘になるかもしれない。

でもそれでもいいんだと私が言っている。

自分でちゃんと決めている。

それが大事。

かつてのようにやりたくもないことを必死でやって、やめることもできず「なんで私ばかり」なんていう気持ちだと必ず限界がくることも知った。

ちゃんとしないとダメ。

頑張らない私はダメ。

役に立たない私はダメ。

そういうのを手放しても、私の価値がなくなるわけではない。

そこを理解するのには時間がかかったな。

生きていると本当にいろんなことがあるけど、前のように起こることにいちいち振り回されたりしないで自分の気持ちに向き合えるようになったかな、、、。

最近ただ感情が爆発するような出来事がないだけとも言えるけど、、、笑

さてさてマックの駐車場で少しこの記事を書いてから帰宅。

「遅かったね」の子どもたちのことばに「ゴメンね、マッキーとデートだったから♡」と言っても

「あーね」と言ってもらえるくらいには公認の仲であります、はい。