今日は私たち夫婦の20回目の結婚記念日。
ここ何年かは全世界公開型のラブレターが私の中では恒例となってしまった。
昨年の↓
ずっとずっと愛してる。
一昨年の↓
18年分の感謝状。
その前の↓
夫へのラブレター。
20年てちょっとすごいね(^^)
私が23歳、夫が27歳で結婚したから
今私が43歳で、夫が47歳。
世界が私たちのために回ってたあの日、自分がそんな歳になる日がくるなんてこと考えもせずただただ幸せで。
でもそんな幸せそうな私たちを見てみんなも幸せそうだった。
みんなの嬉しそうな笑顔をよく覚えてる。
最近の私たちはおじさん、おばさん化が著しい。
それでも、日々の様々な出来事を経て、絆や愛情は増すばかり。
私が勝手に夫を責めまくって(心の中で)苦しいターンもあるけど、
基本とっても仲良しでベッタリな感じ。
いい歳してこんなんじゃいけないんじゃないかなんてチラッと思ってしまうときがあるけど、
「いやいや、私これやりたくて今世生まれてきたんだった」って思い直す。
私は家族と一緒の時間が何よりも欲しかった。
不登校のことで友人に相談したときに「仲がよすぎるんじゃない?」と言われたことばになぜかひどく傷ついて、泣き濡れたことがあった。
私がまだ子どもたちが学校に行かないことで悩んでたのを察してその人は言ってくれたことばなのだろうけど、なんだかすごくショックを受けた。
でもそれで気づいた。
仲良しで何がいけないのか。
仲良し万歳じゃないか。
家族が、家庭が安全基地でなければ何もはじまらない。話はそれからだ。
私は喉から手が出るほど欲しくてたまらなかった家族の形を手に入れていたのだ。
そのことに気づかせてくれたことばだった。
私はずっと確固たる自分の居場所を求めていた。
自分のいる場所はここだと、自分がここには必要だと、そういう場所を求めていた。
今思えば生まれ育った家庭の中にも、学生時代にも、職場にも、嫁ぎ先にも、ママ友との間にも、居場所はあった。
拒否されたことも追い出されたこともない。
自分がないと感じていただけだった。
そのことに気づいたのはこの数年の自己探求の賜物だ。
私は寂しかった。
大切な人と一緒にいたかった。
だから私は夫と作り上げた今の家庭で夢を叶えた。
叶ってることに気づいた。
でもそれは、これまで歩んできたこと全てがあって叶ってるのだということを知った。
自分の中の「母親像」というものにいろんなことを課してた自分を解放して、トホホな自分で夫にも子どもたちにも笑われるのはとても気が楽だ。
できないものはできないと手放していれば、人にも寛容になれる。
私は長いこと「一緒にいなければ家族ではない」という囚われに苦しんできたけど、
今は必ずしもそうではないことや、いくら一緒にいる時間が長くてもそこに信頼や絆がなければ意味がないこともわかった。
自分がそうだからといってみんなが同じではないこと、でも自分の思いは伝えてもいいこと、いろいろわかったことがあって数年前に比べるとかなり生きるの楽になったなぁ。
そこにはいつでも私を笑わせてくれる夫と、優しい子どもたちがいた。
子どもたちは本当に素晴らしくて、考えてると泣けてくるね。
最高の家族をありがとう。
明日のことはわからない。
人生には思いもよらないことが起こることがある。
子どもこちもこれからたくさん出会っていくだろう嬉しいことも悲しいことも、私は一緒に感じていたい。
いつでもここにいるよと言い続けたい。
ナオアキさん、私が今こんなに幸せなのはあなたがいたからです。
寄る年波には勝てず体力の衰えを感じる今日この頃だけど、子どもたちの未来を見るためにまだまだ元気でいようね。
まだまだあなたと過ごしていたいのです。
今日も明日も明後日も。
10年後も20年後も30年後もずっとずっと。
またマッキーのライブ行こうね。
またくだらないことで泣くまで笑おうね。
お金にならないようなことに一生懸命になろうね笑
20年ありがとう。
私めっちゃ幸せ〜〜!!(≧∀≦)
ずっと手をつないで歩いて行こうね!
これまでの夫婦の足跡↓
ナオアキユキコ夫婦の再生の物語。
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4人の子どもたちが不登校という経験から、同じような境遇で悩んでいる人たちの居場所をつくりたいという想いで活動しています。
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子ども4人不登校からの学び