日常の出来事

金丸由貴子 プロフィール。のつもり笑。

金丸由貴子

1976年生まれ。
A型。
おうし座。

好きな人  マッキー。
愛してる人 マッキー。
大好物な言葉 「えーー、4人のお母さんに見えなーい!」
好きな歌  マッキー。
好きな食べ物  自分が作らなくて出てくるご飯。
出会えて感謝してる人  マッキー。
好きな映画  「あん」「グッドナイトムーン」
密かに恋心抱いてる人 菅田将暉。
リスペクトしてる人  マッキー。

全部まじめに本当のことだけどおふざけはここまで(^_^;)

好きなこと もっと快適に暮らせないかとモノの配置とか収納とか思いを巡らせ
      ること。模様替え。
好きな食べ物 からあげ、ハンバーグ、なす、お豆腐、焼肉、えのき、舞茸
       天せいろ、チョコビスケット、メロンパン。
出会えて感謝してる人 今まで出会った人全員。
           でもやっぱりナオアキ氏。
好きな映画 「グッドナイトムーン」「あん」
人生に影響を与えた本 「生きがいの創造」
好きな言葉 「止まない雨はない」「明けない夜はない」
      「明日は明日の風が吹く」「なるようになる」

       

夫と4人の子どもの6人家族。
同居(二世帯住宅)の義父母を入れると8人家族。
3頭の先住犬に加え最近、保護犬の預かりボランティアをはじめ新たな一頭を迎え4頭に。

産声をあげたのは母の実家がある東京の産院。
その後、雄大な富士山の麓で高校卒業までを過ごす。

短大は親の仕送りのもと東京で一人暮らし。福祉を学ぶ。

短大卒業後、身体障害者の施設に就職。甲府で一人暮らし。
夜勤もあるキツイ仕事だったがやりたかった仕事でお金をもらえることの素晴らしさを感じた。
やりたい介護ができず悩んだこともあるが利用者の役に立てることが何より嬉しかった。

23歳、兼ねてよりお付き合いしていた夫と結婚。
約2年間は二人暮らし。
結婚当初「子どもは何人欲しい?」の質問に冗談交じりに「4人」と答えていた。

結婚から2年後長女を授かる。臨月に入り夫の実家(二世帯住宅)での暮らしがはじまる。
2002年長女誕生。
産休育休を取ったが、子育てがはじまると考えも変わり退職。

長女が可愛すぎたり早く兄妹を持たせてあげたかったりで長女が8ヶ月の頃次女を妊娠。
無謀な家族計画だったことを知るのはもう少し後のこと。

2004年次女誕生。長女が1歳半で2人育児スタート。
長女が可愛くて生まれてくる子を可愛く思えるか不安だったが、とんだ取り越し苦労だった。

その後、自分なりの人生計画のようなものがあり次女の誕生から約2年後に3回目の妊娠をするが流産に終わる。
自分の勝手な計画を優先させるあまり子どもたちにも自分にも無理をさせたことを悔やみ自分を責める。
今いくら4人の子どもたちがいるからといってあのとき失った命の悲しみは消えない。
それでも、あのときの子が下の2人のどちらかかもしれないし、そうでなくてもいつも近くで見てくれていると思っている。

私も夫も子どもたちも少しずつ元気を取り戻し4回目の妊娠。
2度とあの悲しみを味わわぬよう家族みんなで大事大事にした。
そして2008年長男誕生。
とっても大きくて母乳が足りないのを初体験。
重すぎておんぶや抱っこで腰を悪くする(笑)
何をするにも女の子とは別の生き物だと実感するばかりで初めての男の子育児は3人目の余裕もあり面白かった。

そして末っ子に関しては全くの予期せぬことで。
妊娠がわかった時は激しく動揺するも、産む以外の選択肢はなく
2010年次男誕生。
末っ子だけあって、可愛いことこの上なし。

4人の子育てと夫の不規則勤務は「母として」「妻として」「嫁として」毎日が必死だった。

その頃、義父が脳梗塞で倒れた。
長い入院生活の後、義父が退院。介護職をしていた夫は退職し、家の畑をしながら義母と一緒に自宅で義父の介護をすることに。
この頃は金丸家の大転換期で、ガラリと変わってしまった生活や、義父の元気な姿を失ってしまった悲しみ寂しさで家族全体が混沌としていた時期だったように私には感じられた。

夫は畑を継いではみたものの、全然テンション上がらず困っていた。
そして自分を変えようと自己啓発本を読んだり東京のセミナーに行ったりしていた。

そんな折、次女が学校に行けなくなる。
時期をずらしながら長女、長男と行かなくなり次男に至っては小学校入学から4〜5日で行くのをやめた。

私はどうにかしなければと、やはり本やブログを読んだり講座やセッションのため東京に通った。

自分でも記録のために非公開でブログを開設。
その後、承認欲求が出て公開(笑)

同じ頃並行して私は自分の中のインナーチャイルドが活動をはじめ、やり場のない感情を持て余していた。
程なく実家とも変な事になりこちらの問題でも3年ほど苦しむこととなる。
セッションやワークショップでは家族との関係も何度となくみてきた。
過去を振り返れば振り返るほど哀しみのドラマにはまっていった。

本当に苦しい時期もあったが次第に過去の癒しと価値観の転換が進み、「今何も問題がない」ことを心底理解した。
そして自分の経験を生かし同じような境遇の親子の居場所づくりがしたいと思うようになる。

私たちは本当にご縁に恵まれていて、絶賛悩んでるときも居場所づくりがしたいとなったときも見守り背中を押してくれる人たちがたくさんいた。

周りの声に後押しされ
2017年、金丸文化農園を一文字変え「金丸文化学園」として活動を開始、現在に至る。

微々たるものであろうとも不登校への理解を広めたい思いで発信も続ける。

今私は毎日家族と一緒に過ごすことができ、本当に幸せに暮らしている。
生まれ育つ中で寂しい思いをした時期が長かったが、それがあったからこその今なのだ。

その過去が現在と繋がったとき私は幼い自分に「ありがとう。よく頑張ったね。」と伝え、大人である私がバトンを受け取ったのだ。

子どもたちの不登校を機にそれまでの生き方がひっくり返ったが、それも全部必要なことだった。
たぶん私の人生のレッスンは半分くらい終わったんじゃないかなと思っている。

これからもいろいろあるだろうけど私は1人じゃない。
これまでもずっと1人ではなかったけど、私が私を1人にしていただけだ。

人生には柔軟性と笑いが必要だ。
それを教えてくれた人がいる。
今度は私がそんなことをさりげなく伝えられる人でありたい。

そして自分の中に通ってる一本の筋に偽りのない、ブレない生き方をしていきたい。