昨年10月から保護犬を一時的に預かりお世話をするボランティアをしている。
愛護センターから引き取った「ゴン」くんの命を里親さんが見つかるまでの間つなぐのが私たち家族の役目だ。
いや、役目だった。
残念ながらゴンは病気を持っていた。年末から具合が悪くなりもう長くないことを家族も理解し看取ることに決めた。
そして今日1月21日の9時過ぎにゴンは息を引き取った。
これまでの様子↓
ゴンを見てると、これまで「犬とはこういうもの」と思ってきたことが、
『家族の一員として人間と幸せに暮らしてきた犬』にしか当てはまらないことを知った。
具合の悪いゴンのお世話をする毎日。
お腹が膨らんで苦しむゴンと向き合うことは、これまでに味わったことのない気持ちや、説明のつかない感情を味わうことだった。
ゴンがうちに来てから、ゴンが幸せに過ごせているのかとても気になった。
ゴンはいわゆる犬としての時間の過ごし方を知らないようだった。
なんでうちに来たんだろう。
ゴンは何を私たちに伝えに来てくれたんだろう。
そんなことをよく考えた。
なぜって、
犬を預かることに決めて向かった愛護センターには、何頭かの犬たちがいて
私のゴンに抱いた第一印象は
「この子はちょっとな~、、、」だったのだ。
大型犬ではないけど、体は大きめ。
顔も少し怖く感じられた。
だから、他の子がいいなととっさに思ってしまった。
でも保護主さんとのやり取りで、何頭かいる子たちの中で、初めての預かりでもそんなに手を焼かなそうな子がゴンだったのだ。
預かりボランティア第1号のゴンは本当に手のかからないおとなしい犬だった。
何を考えてるかいつもわからなかったけど、その顔と体に反してとても穏やかな性格で人が大好きなことがわかった。
全く声を聴かないことから、これまで鳴くこと吠えることを許されなかったんじゃないか、、、なんてことを想像してみたり。
下半身が弱いことから、狭いところに閉じ込められてたんじゃないか、、、なんてことを想像してみたり。
耳が遠くいろいろよくわかってない様子に、人間で言う認知症なんじゃないか、、、なんてことを想像してみたり。
何をどう想像してみても、言葉を話さないゴンを前にそれはどこまでも想像でしかなかった。
ゴンの具合が悪くなり出して、寒さも厳しくなってきて家の中で 過ごしてもらうことにした。
狭いリビングの一角をゴン専用のスペースに模様替え。
家族との距離が近くなりいつでも様子がわかるようになった。
でもゴンは相変わらず、犬のようにゆったりと座ってくつろぐことを知らなかった。
お腹が苦しかったり痛みがあったりしたのか、
はたまた下半身が弱く立ったり座ったりが億劫だったのか、
見るといつも立ち尽くしていた。
家族は横を通ると頭を撫でた。
ゴンの表情は変わらず嬉しそうとも悲しそうともとれなかった。
私も夫も、ときどきfacebookでゴンの様子を投稿した。
ゴンはすごくたくさんの人たちに気にかけてもらって愛を注いでもらってることが伝わってきた。
「金丸家に来て、愛を注いでもらって幸せだね」とか、
「幸せな3ヶ月を過ごしたね」とか
本当にあたたかいコメントや個人的にもメッセージしてくれる人がいて、
その度に私たちは救われた。
みんなが「ゴンゴン」て呼びかけてくれた。
今日、最期のときを見守ってくれた獣医さんも「最期の死に場所に金丸さんちを選んできたのかもしれないね」と言葉をかけてくれた。
そうだったらいいな。
うちを選んで来てくれたとしたら、もうなんて感謝したらいいのかわからない。
みんなはゴンが私たち家族の愛をいっぱい受け取ったと言ってくれたけど、
私たち家族は、ゴンを通して本当に溢れるほどの愛を受け取った。
ゴンが教えてくれたこと、
ゴンのおかげで学んだこと、気づかされたこと、大切なことがたくさん。
ゴンゴン、どうしてうちに来てくれたの?
本当に短い間だったけど、ゴンゴンと過ごした時間は宝物だよ。
もう虹の橋を渡ったかな?
あっちでお父さんやお母さんと会えたかな。
もうなんの心配もいらないからね。
いっぱい走って、いっぱい食べて、いっぱいお喋りしてね。
もし良かったらお空から私たち家族を見守っていてね。
そして私たちが虹の橋を渡るときが来たら橋の麓まで迎えに来てね。
この先、人間の勝手で辛い思いをする動物たちがいなくなるように
私たちにできることはとても小さなことだけど、ゴンゴンが伝えてくれたたくさんのことを今度は私たちが伝えていくね。
ゴンゴン、本当にお疲れさま。
ゴンゴン、本当にありがとう。
ゴンゴン、大好きだよ。
ずっとずっと忘れないよ。
いっぱいいっぱいありがとう。