前回まで↓
ワークショップの3日間は、濃いというか深いというか言葉で表すことのできない衝撃の連続だった。
参加者は何かしら人生の壁にぶつかっていたり、生き辛さを感じているような人たちばかりだ。繰り返されるライブセッションを見たり、セッションの一部に参加したりしてまず思ったことは、
『私はなんて小さなことで悩んでいたんだ!』
ということ。
人それぞれに事情があるわけだから、悩みに大きいも小さいもないとは思いながらも、そんなふうに思わずにはいられないほど複雑なものを抱えている人も何人もいた。
セッションでは心の深いところに触れていくわけで、思い出したくない過去や辛かった出来事、叶わなかった願いなどと向かい合わなければいけない。
セッションを受けている本人はもちろん、周りで見守る他の参加者たちも、何かしら自分の持っている問題と重なりあちらこちらですすり泣く声が。
失礼な言い方かもしれないが、主催者の方たちのセッションの腕前にも驚かされるばかりだった。
休憩と食事以外はみっちり講義やセッションだった。
1日目も2日目も終わる頃には頭がクラクラするほどだった。
家族のもとを離れ、さみしくて眠れないんじゃないかなんて心配もあったが、部屋が3人部屋だったこともあり、寂しさは感じなかった。
電話の向こうの子どもたちも元気そうで安心した。
贅沢だと感じたのは大浴場だ。
家族で温泉や旅行に行くことは年に何度かあるが、そんな時は末っ子が滑って転んで頭でも打たないかと世話を焼き追いかけて。
お湯に入ってもはしゃぎすぎて溺れはしないかと気が抜けない。
『どこに行っても常に子どもたちを気にかけている』
そんなことが当たり前の私にとって、
『自分だけのことを考えていていい』
『自分の好きなだけお風呂に浸かり、自分のタイミングで露天風呂に移る』
そんなことがとてつもなく贅沢に感じ、
『こんな時間を持ったことないな〜・・・』
と、しみじみ思った。
ワークショップも3日目となると、言葉を交わせる人も増え、facebookで友達申請をし合うなど、来る前からは考えられないがとても楽しく充実した時を過ごしている自分がいた。
『妻』でも『母』でも『嫁』でもない私が、3日前は見ず知らず同士だった方たちと対等に話をしている。
それは、これまで子どもを置いて自分だけが出かけることなどありえないという私の中の掟が、そうではなかったと身をもって実感させてくれるものだった。
私もきっとそうだったと思うが、参加者のほとんどが3日前とは別人の顔になっていた。
柔らかく穏やかな表情をしている人。
光が射したような明るい表情をしている人。
名残惜しいと感じているのも私だけではなかったと思う。
『来て良かった!』
『勇気を出して良かった!』
強く強くそんな思いを抱きながらワークショップは幕を閉じた。
つづく↓