【これは、私がある日の昼食の後の洗い物をしながらいつものごとく悶々として、
いつも以上にワナワナして、
終わった途端
「お母さん、もう病む!(இ﹏இ`。)
みんなでご飯食べてお母さんだけが片付けしてるの、おかしくない!?!?
みんな自由でお母さんだけが自由じゃない!!」
と言い残しカバンを引っ掴んで家を飛び出してからの物語。】
以下Facebookに連投したものを残していきます!(家出期間は8/23~25)
家出投稿④
家族みんなに私の気持ちを聞いてもらった。
家事、特に食事部門を引退したいと表明。
ご飯の支度がしんどいのは、もうみんなにすっかり浸透してるから新たな驚きはなさそう。
そして私は私の中に「頼れるお母さん」な部分と「みんなが知らないところで家事をやってるのは嫌、知っててくれないと嫌」っていう子どもな部分があることも伝えた。
いわゆる「名もなき家事」もみんなに知ってほしいし気づくようになってほしい。
ひと通り話し終えたところで子どもたちにも「感想なり反論なりなんでも言ってほしい」と伝える。
「お母さんまたかよ、めんどくせーな!」みたいなのでもいいんだよ?と言うと
またもや夫が
「そんなふうに思うみんなだと思ってるの!?😆」と。
あぁ、そうだよね💦
やっぱり怖いんだよね。
みんなに嫌われたり呆れられたり見放されたりするんじゃないかって。
ただ、今回の家出をきっかけに家事について大きく変えたい気持ちに変わりはない。
「お母さんは明日から何もやりません。
つい目についたり、ちょっとくらい、、ってやっちゃうけど、それだと何も変わらないから努めて何もやらないことにします!」
とりあえず異論はないようだった。
私の人生改革、第二章の幕開けといったところです。
家出投稿⑤
これまでにもたぶん、何もしないと宣言したことはあった。
でも貫けなかった。
私が我慢して頑張ってやってる家事を放棄することは、みんなに同じ思いをさせることになるという思い込みがあったから。
「私が我慢しないと誰かが我慢する」
かつて父親の仕事(父の夢だった仕事)の邪魔をしないように「寂しい」を我慢してきた。
私が我慢しないと、父親が自分の夢を我慢することになるからだ。
実際は、当時私が「もう無理です、寂しさに耐えられません」と訴えたなら、父が夢を手放さなくても何かしら方法があっただろうし本気で訴えることはしても良かったことなんだろう。
でも子どもというのは健気なもので、
親を困らせるくらいなら自分が我慢するというのは割とどんな子どもも意識的であろうと無意識であろうとやっていることだ。
私のように大人になってもなお、当時の親をパートナーや大切な存在に投影してその我慢を続けている人も多いだろう。
大人の自分が今苦しいのは、当時子どもだった自分が感じたものをもう解放してあげていいよのサイン。
望んでもいい。
望んだことを伝えてもいい。
そこで何かが起きたらその時考えればいいことだ。
家出投稿⑥
宣言はしたものの、
お風呂あがりに、洗濯機から溢れ出てる洗濯物の量を明日の朝まわす1回目のために調整しようとしてる。
キッチンにやたら置かれてる食べ残しやらゴミやらを片付けようとしてる。
ムムム、、、
やらない、やらない、、
自分に言い聞かせる。
極めつけ、
「やらないんじゃなかったの?」との夫の言葉に我にかえる。無意識にワンコのトイレシートを交換してる😱
体が勝手に🤣
まあ、生き物のことは可哀想だからね、気づいたらやってあげたくなっちゃうけど💦
今朝も起きてお風呂で少しあったまったあと「ついでだもん、洗っちゃおうか、、」
「今日も洗濯2回はまわさなきゃだもん、まわしちゃおうか、、、」
えーーい、ダメだダメだ!
ここにいたらダメだ😱
カフェでブログでも書くか!
と、飛び出してきたのである😂
家出投稿⑦
でもね、
子どもたちが次々に学校に行かなくなって、ほんとにわが家が一番大変なときに、
とにかく今は子どもたちにとって
『家庭が安全基地』になるようにと、それを最優先事項として取り組んできました。
その過程には、それこそ自分が信じてきたものを全部ひっくり返してときには痛みも伴いつつ再構築してきたことがあるわけで、そこはよくやってきたと自負している部分でもあります。
だから、もっと緩く行こうよとか、
力を抜いてとか思われるとちょっとシュンとしちゃう。
わけがあってやってきたことだから。
そういうふうにやってきた今だから子どもたちにも「お母さんもう何もやらない」を受け入れてもらえたと思う(今のところは💦)
初期の頃に、「断捨離して家の中を一掃して風通りをよくして心機一転!」みたいに思ったときがあって、
そのときも家族みんなに聞いてもらって
「お母さんに協力してくれる人!」って
意気揚々と言ったら誰も手を上げてくれなかったという苦い経験があります。
アドラー心理学関係の人に
「まだダメでしたか、、」って言われたのを覚えています。
それで私はこれまで子どもたちとの関係を
一生懸命築きなおしてきました。
だからこそ今があると思ってます。
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