子ども4人不登校からの学び

長女、成人の日を迎える。

少し前に書いたように長女の成人式は前撮りで振り袖姿は見ているし、


実はその後もカメラマンを雇ってのロケ撮影もした。(私も同行)

そして迎えた今日、振袖を着るのは3回目だ。

早朝、これまたお世話になるのが3回目の娘の選んだヘアメイクスタジオに送っていくと、
同じように着付けの済んだ女の子が帰るところだったり、車で待機してるお母さんがいたりで。

少し緊張気味の娘を傍らにそんな光景を見たら、、

あれ?なんかちょっと感無量な気配(笑)

駐車場で待つことができないため近くのコメダに入り、今朝ちゃんとお祝いの言葉を伝えてないことに気づく。

前撮り、ロケ撮影、お誕生日も12月に済んだばかりだし、もう十分お祝いした感覚でいたけども、
全国的に今日が成人の日だと思うと、やっぱり節目というか一区切りというかだなぁって。

今日を境に、これからは全部自分のことは自分で生きていきなさいとかそんなことを言うわけではないけども、社会の一員として、自分を高くも低くもせず、世の中の人たちと手を取り合って
助けたり助けられたりする中で生まれるものを大切にしてほしいなぁと願う。

でも今こうして書いていて虫唾が走るような自分もいる。

「社会」とか「手を取り合って」とか「助けたり助けられたり」とか、

私はそういう言葉たちをとっても遠ざけてきた。
嫌だった。 
怖かった。

自分の20歳の頃を思うと、ほんとにまだまだ何もわからない子どもで、

親や自分の生きてる環境への感謝なんてものも自ずと出てきたものではなく
それまで生きてきた中で、そう思うように流されてきたもののように思うし。

自分が困ってるとか弱ってるとか、助けを求めるとか、そんなことも知らないまま必死に生きてきて(必死な感覚もないけど)

40代も後半になり私は今ようやく日々への感謝とか私と関わってくれる人への感謝を心から感じれている。

でもそれも毎日じゃない。できないときだってたくさんある。

だから20歳そこそこで、そんなもの感じなくていいよとも思う。

親としては今日みたいな日には「今のあなたがいることへの感謝を忘れず」なんて言いたくなるし
式典でも大人はそんなようなことを言うんだろうなぁとは思うけど、

言葉で言うよりも、そうやって生きてる大人を見て心が動いたときの方がずっと伝わるだろうな。

私も子どもたちにそんな姿を見せれたらとは思うけど、
以前、尊敬する若者に「親の背中なんか見せんでええです」って言われたこともあって。

結局のところ、親は親で自分を生きることしかできないんだな、、と。

子どもにあーだこーだ言う前に、自分はできてるの?やってるの?
そういつでも自分に問いながら生きていきたいと、着付け待機中のコメダで思う朝だった。

とにかく長女はもちろん、子どもたちはどこまでいっても私の師匠だから。
そんなお師匠さんたちが私のもとに来てくれたことが本当に嬉しい。

今年は子どもたちそれぞれと何か思い出を作りたいと思っていて、長女とは女2人旅に出る予定。

長女のこれまでの人生にもいろいろあったけど、こうして今日を元気に迎えられたことに感謝します。

そして、彼女のこの先の人生も素晴らしいものであることを心から願う。

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勇気づけアドバイザー金丸由貴子

勇気づけアドバイザー

金丸 由貴子

47歳。果樹農家の嫁。元介護職。 4人の子どもたちが次々に学校に行かなくなり人生を問いただされた39歳から8年経過。 夫とともに自己探求しながら、毎日みんなで笑顔で過ごせるのが何より大事ということに行き着く。 2023現在、長女21歳、次女19歳、長男15歳、次男13歳。